Invitation

 時刻は維遠の就寝より少しさかのぼる。
 彼の住む街の北側に広がる山の一角。朱陽学院よりもさらに山を登るその先に知る人ぞ知る大きな屋敷が建っている。
 周りを森で囲んだ、豪奢な洋風の屋敷。その一室。
 夜の海が返した月光のように澄んだ銀髪を縦に巻き、豊満ながらどこか未熟な果実のような躰を、華美なナイトドレスに包んだ少女が、そこにいる。
 この屋敷の主、月影レヴェッカ。
 何をするでもなくぼんやりと椅子にすわり、手元の本を眺めている。
 表紙の色は彼女の髪の色と同じく銀。
「――予想と違いましたわね」
 誰に言うでもなくつぶやく。しかしそれに答える者がいた。
「申し訳ありません、お嬢様」
 ダークブラウンの髪をウェーブにし、大きな眼鏡をかけた、どこか儚げな少女。
 彼女もやはりナイトドレスを着ているが、それはレヴェッカのものと違う、落ち着いたもの。
 良くも悪くも好対照な二人はしかし誰よりも互いを理解した良きパートナーである。
 友人同士としても、《ブレイド》と《ウォッチャー》としても。
「まさか最終参加者が勝ち残るとは」
「構いません。相手が誰であろうと全力を尽くすのがわたくしの流儀ですもの。殺人鬼であろうが、見知らぬ誰であろうが、それは同じこと」
「おそれいります」
 控えるように立つ眼鏡の少女が恭しく頭を下げる。それを鏡越しに見やってからレヴェッカは口を開いた。
「シィカ。この者を探すのにどれくらいかかるかしら?」
「今夜中には」
「よろしい。では明日、こちらにお招きいたしましょう」
「かしこまりました」
 シィカと呼ばれた少女が答えるとレヴェッカは本を閉じ、彼女にそれを手渡す。もう知りたいことはない、と言うように。
「ふふ。楽しみですわね。正気を失った凶悪犯と対峙した胆力。何よりかつて誰もが成し得なかったという、最終参加からの勝利。その実力――このわたくしが計って差し上げますわ」
 その笑みはまさに不敵。恐れを知り、されど怯むことを知らぬ、戦乙女の昂りだった。

        ‡

 唐突ではあるが、維遠は非現実的なことに対して比較的寛容である。
 それは先の震災であったり、昨日の戦いであったりするが、概ね受け容れるようにしている。現実を否定するよりも認めた上でどう回避するかが肝要だと思っているからだ。
 結果として現実逃避に走っている現実はさておき。
 ともかくも維遠は目の前で起きてしまった現実を受け容れるだけの度量と、受け容れようとする努力を持ち合わせていることだけは知っておいてほしい。
「ねえねえ、神園くんはさ、ニューハーフについてどう思う?」
 その上で彼はこの二日ほど見ないようにしていた現実がある。
 いや、ハッキリ認めよう。目の前の現実を否定していた。否定し続けていたかった。
 だが連続殺人犯との死闘を乗り越え、《ブレイド》なる存在まで受け容れた今日、もはやいつまでも否定してはいられない。
 認めるときがやって来たのだ。
「………………」
 場所は朱陽学院の教室。時は休憩時間である。
 先にも言ったがもう一度確認しておこう。
 この学校は男子校である。私服で通う学校である。特に制限は設けていない。一般的な恰好であれば多少派手でも構わないという学校である。
 だから――

 目の前の男がどんなに美少女に見えてもヤツは男なのだ!!!

 維遠と同じ黒髪で、しかし束ねられる程度に長く、綺麗なストレート。天使の輪も浮いている。
 パッチリ二重まぶたで、小さい鼻と少しルージュを引いた唇。小顔でたぶん、ファンデーションも付けているけど、よく見ないとわからないくらい。
 ブラウスにデニムのロングスカート。その下がどうなっているのかとか考えたくない!
「とりあえずそれ以上近づくな、二階堂」
「ひどッ!」
「ほんまひどい男やでイトは」
 横から一色も加わる。
「照れてるだけですよ」
 ついでに五百蔵も、にこやかに、そしてさわやかに。
「きゃ、神園くんのえっち」
「男は趣味じゃないです……」
「でもごめんね、わたしのカラダはもうきぃちゃんのものだから」
「聞けよ。ついでにそいつが不憫でならん」
 二階堂恋也れんや。人間の神秘の集大成。のど仏はありません。
「んと、じゃあ、神園くんはオッケーだね。よし、やっぱり美しいのは正義なのよ!!」
「だから……」
「ん、これならきぃちゃんとお付き合いしても大丈夫かな」
「聞いてねー」
「いいじゃないですか。潤いがあって」
「前向きすぎやろ、さすがに」
「男子校やという事実を忘れたらいいさ!」
 一色、サムズアップ。
「いや……建設性ぇないやん……」
「繁殖だけが愛じゃないですよ」
「えぇー……」
「まあ僕はお断りですけど」
「「おい」」
 一色と維遠でユニゾン。ちなみに二階堂はとっくにどこかへ旅立っている。精神が。
「なんでもありやな、この学校」
「まあ、文化祭のメインイベントが女装コンテストですから」
「あー、じゃあ、この三年はこいつの一人勝ちか」
「ビューティー枠はそうでしょうね」
「なにそれ」
「美しさとネタ度を競うんですよ」
「ふ〜ん」
「ビューティー枠とアグリー枠やろ」
醜いugly言うてもうてるやん」
「ネタやから」
「……アホやなぁ……」
「朱陽ってそういうトコやし」
「ですね」
 若干、志望校を間違えた気がしないでもない。
 そんな会話を、一番前の席で飯田が鬱陶しそうにしていた。

        ‡

「誰、その女」
「あかんで犯罪は」
「かわいくても誘拐は犯罪ですよ」
「きゃーかわいー!!」
「………………」
 放課後、帰り道でのこと。
 他三名と別れる道の交差点でみかんが待っていた。
 だが待ってほしい。
「お前ら揃って罪人扱いか」
 うしろの二人をにらむ。となりには二階堂がいたが今はみかんとじゃれている。
「ちゃうん?」
「え? だってイトくん兄弟いないじゃないですか」
「お前らが年中とっかえひっかえヤリまくりなんは知ってるけど」
「失礼な。ちょっと付き合うサイクルが短いだけやろ」
「ていうか僕は許婚がいるので……」
「「マジで!?」」
 一色と二人、素で驚く。そんな事実は初めて聞いた。
「あー……いや、リクちゃんの話は後日あらためることにして」
「じゃあ俺は聞きながら帰るわ」
「ズルっ!」
「じゃ、まあ、ごゆっくり。あ、あとで警察行っとけよ。少年犯罪やから帰したらたぶん許してくれるって」
「いやいやいやいや!!」
「じゃあ、クガ、行こうぜ」
「はいはい。レンちゃんも行きますよー」
「あ、はーい、じゃね、ミカちゃん」
 人を犯罪者にしたまま嵐のように去っていった。
「なんやねん……」
「それはこちらのセリフ。何、あの男。そこらの女より綺麗じゃない」
「………………」
 なんとなくだが。本当になんとなくなのだが。
 みかんが他人を褒めるのは珍しい気がした。
「……まあえっか」
「なにが?」
「別に。どしたん? こんなトコまで」
「迎えが来たわ」
「――は?」
 竹取物語のような呆気ない終わりが――
「次の対戦相手からの」
 来るわけがない。
「つかホンマあっさりバレてんなぁ……」
 先に勝っているほうが相手のことを調べる余裕があるのはわかるが、昨日の今日で迎えまでよこすとは。
 正直な話、昨日の疲れが抜けきっていない。背中が筋肉痛など初めての経験だ。
「断ったらアカンの?」
「どうかしら? 向こうで待たせているけど」
 指差す方向を見てみる。車種には詳しくないのでよくわからないが、たぶん、リムジンと呼ばれるタイプの車。
 どこのコレもんか、と言うような。
「………………ふむ」
 断るという選択肢はなくなったが、いちおう断った場合を仮定してみる。
 十中八九、銃を持ったオニイサンたちがカチコミに来るだろう。自宅に。
「しゃーない。行くか」
「ま、その方がいいわね。結界外では維遠なんてただのヲタだもの」
「………………」
 なんだか機嫌が悪いようだ。たぶん、昨夜戦ったのに結局、維遠の《ブレイド》がなんなのかわからなかったせいだろう。そもそも維遠に対してみかんは強すぎる。昨日程度の実力では一撃入れるどころか、二秒もたせるので精一杯だった。
 二秒後には三十二分割されているのだ。
「訓練っていうにはいじめられすぎやったけど」
 自分の実力では本来のみかんに逆立ちしたって勝てないことだけはわかった。そもそも維遠は逆立ちなんてできないのだが。三点倒立がせいぜい。
「なんか言った?」
「なんも。ほんな行くか。みかんも来るやろ」
「当たり前でしょ」
 うす青いワンピースを着たみかんが先行した。日光の下で見るとやはり日本人離れしていて、とんでもなく美少女だ。
「そろそろ桜も咲きそうやし」
 見上げた先の桜を見て思う。
 今年はみんなでどこかで花見をしてもいいかもしれない。宴会のようなどんちゃん騒ぎがあまり好きではない維遠はそういう催しは参加しないことが多い。だが今年はなんだか参加してもいいような気がしてきた。
 みかんが一緒なら。
「連れてきたわ」
 後部座席のドア付近で待機していた運転手らしき人物に声をかける。少し白髪の混じり始めた、穏和なそうな紳士だ。
「お待ちしておりました。神園維遠様ですね?」
 探るでもなく、さりとて見逃すでもなく。つぶさに観察しながら失礼を感じさせない視線。むしろ居住まいを正したくなるような。
「はい。えっと……」
「これは申し遅れました。わたくし月影商事株式会社取締役会長、月影清一朗の元にて運転手を務めさせていただいております、田島宗司と申します」
「えと、ご丁寧にありがとうございます……?」
 月影グループの大元だったと記憶しているが、世情には詳しくない維遠にはよくわからない。間違いないのは、かなりのお金持ちだということくらいだ。
「詳しいことはお嬢様自らなさるということでしたので、どうぞご乗車ください」
 言って優雅な仕草でドアを開ける。真っ白なシーツに覆われた座席が目に入る。
「………………レディファーストで」
「………………。……ヘタレ」
 半眼でにらむとさっさと乗り込んでいった。そうなると維遠も乗らないわけにもいかないわけで。正直気後れしているが、運転手さんを中腰のまま放置するわけにもいかず、渋々乗った。
 軽い音を立ててドアが閉められる。無意味なくらいに広い車内だった。
 エンジン音も振動も感じさせずに車が発進する。窓の外の風景が動いたからわかったのだ。逆に気持ちが悪いくらいに静か。
「……新手の心理戦か?」
「心理戦に新手も何もないと思うけど」
「いや……まあ」
 金持ちにはそれなりに慣れているつもりだったが、ここまで場違いな状態に陥ったことはない。中学生までの付き合いで、こんなものに乗るほうがまれだというのは理解しているが。
「……あるとこにはあるもんやなぁ……」
 つぶやく。もちろん、金の話だ。
 きょろきょろと首を動かしたくなるのをこらえるために窓の外に目をやる。下ってきた道を戻って、山を上がっているようだ。
「あー……そういや月影の別荘かなんかあるって聞いたことある気ぃすんなぁ……」
「そうなの?」
「俺もよう知らんけど。なんか山一つ分自分トコの土地にしてるとかなんとか」
「へぇ」
 みかんもそれほど興味があるわけではないようで、生返事である。
「て言うかさ……」
「まあ、みすみす敵の罠に嵌まりに行くっていう状況なのは間違いないわね」
「だよネー……」
「しかも何の対策もなし」
「かつ徒手空拳か」
「まあ維遠を抱えて逃げるくらいはできるでしょうけど」
「頼みます……」
 結界内ではともかく、結界外では《ブレイド》も魔術も使えない。
 使えないと言われたわけではないが、使えそうな気がしないのは事実だ。そして今朝から幾度か試したが、《ブレイド》の存在を感じられても、魔力の気配が一切しない。少なくとも維遠にとって、結界外というのは《ブレイド》たりえない場所だ。
 そうなるとみかんの地力にかかっているのだが……
「制限されてるって言ってたやん? 力。それって結界外でも?」
「同じよ。ただまあ元々の性能が維遠たちとは比べ物にならないから。それでも囲まれればどうしようもないわね。わたしはともかく維遠が」
「………………」
 そうならないことを祈るだけである。
「まあ結界外で死ぬようなことはないから大丈夫だと思うけど」
「いつもと状況の違う今回――つか俺に限っては楽観はできん、と」
「そういうことね」
「はぁ……」
 ため息。気苦労が多い。そしてなんだかんだで順応してしまっている自分が恨めしい。
 ちなみにこの会話、普通の声量で行われている。運転手が事情を把握しているか微妙だが、運転席まで距離がある上、相手が中高生ということもあって本気にしないだろうという希望的観測の下に、普通の会話である。もっとも、維遠のほうは緊張で少し抑え気味だが。昨日から緊張しっぱなしのような気がする。
「どうか無事で今日が終わりますように」
「無理だと思うけど」
 それで会話は途切れた。無言が続く間に車は走り、辺りは鬱蒼とした森になっている。
 都合二十分程度の乗車だったが、驚くぐらいに見知らぬ場所に車は入った。
 周囲を森で囲み、学校のグランドが四面は入りそうな、大きな前庭の向こう。そこに、洋風の屋敷が建っている。漫画で出てきそうな造りのそれは、高さこそ及ばないが総床面積では維遠とみかんの住むマンションよりも大きいだろう。
 立地とその豪勢さが噛み合っていない。はっきり言って、無駄だ。
「お待たせいたしました」
 ドアが開けられる。今度は維遠が先に下りる。
 玄関のドアですら三メートル、あるいは四メートルはありそうな大きなもので、大層な彫刻が施されている。挟まれたらそれだけで死ねそうだ。
「どうぞ奥へ。お嬢様がお待ちです」
「……………………」
「呆けてないで行くわよ」
 みかんに手を引かれ扉をくぐる。呆けていたのではなくどうやったら入らずにすむかを考えていたのだが。
「お待ちしておりましたわ、西ノ宮命霞さん。そして神園維遠さん」
 維遠の部屋より広い玄関の奥の――そもそも和風の家ではないので土間などないのだが――ホールで待ち受けていたのは、銀髪縦ロールの、いかにも、というていの女の子だ。
「お初にお目にかかります、わたくし、聖南しょうなん学院高等部普通科――今月より二年に在籍しております、月影レヴェッカと申します。以降、お見知りおきを」
 優雅にお辞儀をする。もちろん、スカートの裾をあげる、あのやり方。カーテシーと言うのだが、維遠は知らない。
 顔を上げ、微笑む。しかしそれは微笑というよりもどこか挑発的な、嘲笑に近いそれ。
「そして彼女はわたくしのパートナー、シィカです」
 こちらは対照的に素朴な恰好と少し野暮ったい眼鏡の女の子。普通に頭を下げる。
「初めまして」
「ご丁寧にどうもありがとう。必要ないでしょうけどこちらも。わたしは西ノ宮命霞。こちらは神園維遠」
「どうも初めまして」
 会釈程度の挨拶。どう考えても敵となる人間に、どこまで礼儀を尽くしたものかわからない。最悪、殺し合いになるのだから。
「ありがとうございます。――さて。不躾ながらお招きしたのは外でもありません」
「《戦い》――に関してよね?」
 レヴェッカの言葉をみかんが引き継ぐ。
 みかんの厳しい視線にレヴェッカも不敵に笑う。
「ええ。ですけれどまずは奥へどうぞ」
 言って先行する。
「ただ剣を交えるだけでは野蛮ですわ。友好を深めてこそ決闘と言うのにふさわしいのではなくて?」
 振り向きざまにそう言った。
「決闘ねぇ……」
「どうぞ、こちらへ」
 維遠のつぶやきはシィカの声に消された。

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