Lost

 いかに夢の中で走り込もうとも現実では決して体力が付かないように。
 どれほど夢の中で切り刻まれようとも起きてしまえば生きているように。
 《夢幻》におけるありとあらゆる行動、現象は眠りから覚めた維遠に現実的な影響を一切及ぼさない。
 イメージトレーニングに近い。
 単独で効果を及ぼすにはあまりに効力が小さく、さりとてするのとしないのとでは実際のトレーニングの効果に大きな違いが出る。
 触媒のようなものだ。
 それ単独ではどうにもならないが、他があることでうまく機能する。
 それはたとえば《ブレイド》だったり、魔術だったりするが、この二日で維遠が驚異的な成長を見せたこととは実はそれほど関係ない。所詮はイメージトレーニング。そこまで大きな影響は与えられないし、内容が内容だからだ。
 昨夜の《夢幻》で行ったことはみかんにひたすら斬り殺されるということだった。
 夢で殺されることと現実で殺されることは全く違う。
 ゆえにそれは全く意味を成さない。
 また、今朝の《夢幻》で行ったことは――
「痴女ですよ、アレは」
「誰が痴女よ! なんで敬語なのよ!」
 横を向いて寝る維遠の背中に張り付いてみかんが抗議した。
 《夢幻》ではなく、現実の維遠の部屋、維遠の布団の中である。
 こっそりと下半身を確認して、こっそりとため息をつく。意味不明な――むしろ意味深な洗濯をしないで済んだ。
 中身全部出たんじゃないかというくらいブチ撒けた。みかんの頭から足先まで真っ白になるくらいに出して出して出した。起きて思うのは、

 夢で良かった!!

 ということだけだ。
 あれが現実だったら維遠は確実に枯死したし、みかんは十回妊娠できる。
 そのくらい出たのだ。
「つか、でも、《夢幻》てみかんには現実よな……」
 サァ、と血の気が引いていく音を聞いた。
 変な汗が出てきた。
「大丈夫。維遠たちとは交配条件が違うから」
「それもすごい根拠やな」
「まあ人型同士だからね、交合はできて当然だし、人間と子をなす天使も皆無というわけじゃないけど」
「う……」
「認知しろなんて言わないわよ」
 言われても困ります。
「というか維遠じゃどうがんばっても出来ないから大丈夫」
「なんで!?」
 そこまで否定されるとさすがに傷つくと言うか気になる。
「ぶっちゃけた話で言えば弱すぎ。天使は物理的な接触だけで生まれるわけじゃないからね、役者不足よ」
「…………精進します?」
 泣くところかどうか微妙に悩む。そもそも何をして『弱い』と評されたのか。
「いや、まあ、全体的にダメな男ですけどね?」
 口の中でつぶやいた。
「ん?」
「なんも」
「ちょっとは度胸付いたかしら?」
「いや……」
 だからアレは所詮、夢のハナシ。淫夢です、ええ。
 淫夢を見たくらいで度胸が付くなら少子化にはならんですよ。
 そういうわけで、さっきから心臓がエマージェンシー状態で、実はちょっと息苦しかったりする。思い切り走ったあとの、あのあえぐ感じ。
「はぁ……やっぱりダメか」
 姿が浮かぶくらいにはっきりとため息をつかれた。
 背中に息がかかり、布越しに柔らかいモノが当たる。
 レヴェッカのような派手な体つきをしているわけではない。
 だからと言って全く凹凸がないわけでもまた、ない。
 出るところはそれなりに出るし、引っ込むところはそれなりに引っ込んでいる。
 良くも悪くも少女の体つきをしているのだ。
「あの」
「ヤダ」
「退いてほしいんですけど」
「ヤダって言ってるでしょ」
「………………」
「――――――」
 背中のことを考えないようにすればするだけ気になってしょうがない。ぴくりとでも身じろぎすれば、彼女の柔らかさが体を刺激し――
「イタい……」
 昨日の戦いの後遺症とでも言うのかどうか。筋肉痛でぴりぴりとする。
 どうか夢での後遺症ではありませんように。
「筋肉痛? それとも腰痛?」
「ヤな聞き方すんなぁ……」
「両方?」
「筋肉痛ですぅー。夢は所詮夢ですぅー」
「ヒドイ、アレだけわたしをメチャメチャにしておいて飽きたらポイなのね……」
「――――――」
 こういうときはなんと言えばいいのだろうか?
 たしかに維遠にとっては夢だがみかんにしてみれば現実なわけで。
「……ゴメン」
「謝るな! バカ!」
 バシっ、と背中を叩かれた。
「いッ!!!」
「――ント、気が利かないと言うか朴念仁と言うか。わかってたけど、わかってたけど」
「じゃーなんて言えばいいんさー?」
「教えてあげない。自分で考えて自分で試しなさい」
「……うぃー」
 目覚ましはまだ鳴らないのだろうか。鳴ったところでみかんが退いてくれなければどうしようもないのだが。今の維遠に動くという選択肢はない。
 ドキドキしすぎて死んでしまいそうになっているからだ。
 両親が同じ布団で寝ている時期があったが、今から思えばあれはとてもつもない偉業だったのではないかと思える。
 匂いとか温もりとか。
 あらゆる要素が睡眠を妨害し、そして冷静な思考を妨げる。
 緊張し過ぎてちょっと気持ちが悪い。昨日、ひたすら食べさせられた焼肉が返ってきそう。すでにタレの味は返ってきている。
 こういう微妙なテンションの日は。
「あー、学校行きたナイー」
「じゃあサボれば?」
「学費出してもろてる身分でそれはナイー」
「律儀ねぇ」
「普通やろ。まあ、ちゃう考えのヤツもおるけど」
「というか普通はそこまで考えないんじゃないかしら?」
 そうだろうか?
 そうかもしれない。
 しかし自分独りで生きているわけではないのだから、せめて同じ屋根の下で暮らす人間のことくらいは考えるべきだとも思う。考えた先でどういう決断を下すかは別の問題だ。
 そもそもただの高校生が親に返せることなんてたかが知れている。
 ならばせめて考えるくらいはしたほうが後々役立つのではなかろうか。
 親でもそうでなくても、どんな人間とも別れは来るのだから――
 時計のアラームが鳴った。
 みかんが止めた。
「起きたいんですけど」
「起きれば?」
「退いてほしいんですけど」
「イヤ」
「………………」
「――――――」
 早めに鳴る設定なので問題はないが。
 いや、問題点はそこではない。
 さらにガッチリとつかまれている事態が問題なのだ。
「あの」
「維遠はわたしのこと嫌い?」
「――――――」
 なんと答えにくい問題なのだろう。
 というかこういう状況でそういうことを聞くのはやめてほしい。
 なんというかその、
「好き?」
 彼氏彼女のナントカではないですか。
 状況的に。
「えぇ……と。《夢幻》とはいえああいうことしたんやから嫌いやないと……」
「完全に嫌いってワケじゃないかもしれない。でも好きか嫌いかで言えば嫌いかもしれない。維遠ってそういうところあるじゃない」
 というか基本姿勢は『嫌い』だ。
 理由はいろいろある。たぶん、もっとも大きな理由は『好き』でいるよりも『嫌い』でいるほうが楽だからだろう。
 好きなものが唐突になくなるよりも嫌いなものが唐突になくなるほうが断然いい。
 それだけのことだ。
 だから。
「もしお別れするようなことがあれば、たぶん泣くやろうね」
 それくらいしか言えない。
 大切なものは無くなってから気付くのだとしたら――
「お別れしそうで、でもしなくてすんでも泣くかもしれん」
 ――何一つ失くしていない維遠では何が大切なのかなどわかるわけがない。
「好きやって言葉は俺には強すぎる。俺が弱すぎるんかもしれんけど――」
「――ありがと」
「え?」
「なんでも」
 言って、みかんは離れた。
 春の空気はまだ冷たいのだと、あらためて気が付いた。

 みかんと彼女の家の前で別れて、登校するために階段を下りる。
 マンションのロビーでたのしに会った。
 眠そうにしている。
「徹夜か?」
「そうや。お前とちごて……って、もう、そうでもないか」
「………………」
 否定するにできない感じがする。
「いやいや」
 否定してもいいところだ。
「いやいやいや。アッハッハ!」
「………………」
 徹夜明けでハイテンションになっているらしい。一番低いローに入っている維遠とは対照的だ。
 そんな彼は笑いながら維遠の横を通り過ぎていって、
「ああ、そや」
 少し真剣な顔をして振り向いた。
「さゆりになんかあったか知っとうか?」
「布引に? ……さあ?」
 対照的なのはテンションに限ったことではなく、全体的に維遠と楽は対照的だ。
 それは異性の幼馴染に対する接し方にも表れる。
 楽が幼馴染らしく名前で呼べば、維遠は照れて苗字で呼ぶ。
「そういや……一昨日、会ったけど、……ああ、ちょっとアレなとこでうたな」
「アレ? ドコよ?」
「創楽園付近」
「あー? アイツなんでそんなトコに用事あんねん」
「やろ? つか、お前はなんでそんなん聞くワケ?」
「まあ、俺は定期的に会ってるから」
「ふぅん……?」
 それは答えになっているのか?
「まあ、なんぞわかったらお前に話振るわ」
「ん、まあ、俺も大体のアタリは付けてるから」
「うぃうぃ」
 互いに右手を上げて、別れの挨拶代わりにする。もう何年もまともな挨拶を交わしていない。『おはよう』も『それじゃあ』も、ない。
 かろうじて、『ありがとう』くらいか。
 言葉にしなくてもわかるのではなく、言葉にしたところでわからないから諦めた結果、段々と言葉数自体が減ってきたのだ。
 家族を除けば――いや、中学に上がって以降、家を空けることの多くなった両親よりもおそらく過ごした時間は長いが、それでも神垣楽という男は不可解だ。
 わかるようでわからない。
 どう足掻いても、維遠では楽に勝てないということだけは理解できるのだが。
 それは複雑な家庭の事情から来る経験の差であったり、一を聞いて十を知る知性の差だったりするが、それをイヤだと思ったことはない。
 悔しいとさえ思えない。
 彼と自分はそういうものだと思うだけ。
「――あ」
 不意にさゆりと楽が付き合っているのだと思い付いた。
「なるほど」
 二人の間は特に気にしていなかったが、それなら『定期的に会っている』という表現も理解しやすい。ややこしいのは、本当に『定期的に会っている』だけの可能性も楽の場合はありえることだ。
「まぁ、どうでもええか」
 付き合うどうこうは別にして、楽がアタリを付けているのなら、さゆりの問題は早晩解決するだろう。彼はそういう男だ。
 だから思考をクリアにして、うす寒い春の曇天の下を歩いていく。
「……きもちわるい」
 昨日の焼肉で胸やけがする。連戦で疲れているし、みかんにも早く帰ってくるように言われているし、さっさと行って、さっさと帰ってこよう。
 そう思うときほど帰ってこれないのが常なのだが、維遠はそれに気付かなかった。

        ‡

 つつがなく四日目の補習が終わった。
 例によって飯田は遅刻し、一色や五百蔵と駄弁って、ときどき二階堂が絡んでくる。どうやら二階堂は維遠たちがあまり大きな偏見を持っていないことが嬉しいらしく、隙を見ては寄ってくる。終始いないのは遠慮しているせいか、きぃちゃんと言っていた思い人のせいだろう。
 天気は相変わらずの曇り空で、雨が降れば咲きかけの桜を散らせることだろう。降るかどうかは半々といったところ。
 とうに一色たちとは別れ、一人、坂を下っている。
 昨日レヴェッカと戦った後遺症か、体が重い。ある程度はみかんが回復してくれているようだが、それでも本調子とは言いがたい。もっとも《ブレイド》になってまだ三日目。どの程度が本調子なのか、きっちりとはわかっていないのだが。
 普段の体の調子でないことだけは確実だ。
 首を左右に傾げる。ぐきぐきと、気持ちのいい音が鳴った。健康にはよくないが。
 てくてく、という擬態語の似合う調子で歩いていく。
 ――願い、か
 正直なところ維遠に明確な願いなんてない。
 失くした物もないし、亡くした人もいない。
 誰かを押しのけてまでほしいものなんてないし、誰かを犠牲にしてでも助けたい人もいない。
 ――と、思うことはエゴかもしれないが。
 ほしいと思われる物はほしいと思う者よりも少ないのだ。ならばそれを手に入れるためにはそれを手に入れられない者を出さねばならない。
 それに。
 維遠自身、六千を超える人間が犠牲になった中で助かったのではなかったか。
 維遠が助かるために六千人が死んだとは思わないし、思えない。
 多くの人間が死んだ環境の中で偶然、維遠は無傷だったというだけのことだ。
 それでも――その事実の意味を、今まで全く考えなかったわけではない。
「――やめよ」
 なぜ自分が生きているのか、ではなく――
「お」
 例の建造中のマンションのすぐ近く。一昨日にさゆりと出会った場所付近で、今度は車椅子の人が歩道に上がろうと難儀していた。
 縁眼鏡をかけた青年で――どうやら両足を失っているようだ。
 悩む。
 もちろん手を貸せばいいのだが、余計なお世話だったりしないだろうかと悩む。
 そんなことは絶対にないのだが。
「まぁえっか」
 つぶやき、黙って手を貸した。後輪が歩道の上に乗る。
「ありがとう」
「いえ」
 口ごもって答える。そのまま去ろうとした瞬間に、
 ――ヒィィィィィィィィンン…………。
 ガラスを擦るときのような音が辺りで響く。
 だがそんなものはない。
 すなわち。
「結界……」
「――そうか、きみが」
「え?」
 見下ろし、青年が残ったままになっているのを確認すると同時――
「うぉ!」
 バックステップで距離を取った。同時にかばんを下ろす。
 右頬がジリジリと痛む。躱し損ねて少し斬られた。
 舶刀カトラスよりもさらに湾曲し、さらに長く、やや細めの刀身。長めの柄頭には飾り紐。
 円月刀シミターと呼ばれる曲刀が青年の周囲でくるくると踊っている。
「遠隔操作……」
「そう。主が動けずとも剣自らが動く円月刀シミターの《ブレイド》、《ダンス・アンダー・ザ・ムーン》。四回戦の相手はきみということで間違いないね?」
 状況を急いで確認する。
 みかんはとりあえず結界内にいるはずだが、どこにいるかまではわからない。
 また、相手の天使も結界のどこにいるかわからない。
 降伏を勧告する、あるいは本を破壊するには彼女らを見つけなくてはいけないが――
「いちおう聞いておこうか。降伏するなら命まではとらないが、足の一つか二つはもらおうかとは思っている」
「――――――」
「無言は肯定……と言いたいところだけど。どちらにしても監視者ウォッチャーがいないならどうしようもないね」
 ――彼のほうはやる気満々だ。
 ハンデを背負いながらここまで勝ち抜いてきただけのことはある。勝てるという絶対的な自信がある。
 一方で維遠はかなり焦っていた。
 もともと連戦で調子がよくない上に、相手は身体障害者。戦いに遠慮は無用とは言え、心理的にやりにくいことはどうしようもない。
「ま、《ブレイド》にもよるのだろうが四肢の喪失は重傷と判断されるようだから安心し給え」
 言うや、円月刀が一直線に向かってくる!
「ちょ――」
 レヴェッカの《ブラックドラグーン》とは比べるまでもない遅さ。《オーラ》を展開するまでもなく、《エンハンス》だけで充分に対応できる。
 しかもあまり複雑な操作は出来ないのか、単調な攻撃が続く。
「つうことは……」
 ひゅん、と軽い音を聞く。同時に後ろへ跳躍。
 二本目の円月刀が一本目と維遠のいた場所で十字に交わった。
「ほう」
「やっぱりか」
 楕円軌道で帰ってくる二刀を見ながら舌打ちする。
 またしても左右から同時――否、わずかにタイミングをずらして襲いかかる。
 それをステップで躱し、前へ跳躍。
 一瞬後、三刀目の円月刀が脳天を急襲する角度で落ちてきていた。地面に突き立つ直前に直角で方向転換、維遠を追跡。
「うぜ――」
 三本目を確認すると同時、四本目が後ろから――!
「っソ!」
 上体を沈め四本目をやり過ごし、右に転がって三本目を躱したときには最初の二刀が左右上方から挟撃体勢に入っている。
 背中は壁、前方からは四本の剣。
「けど!」
 前に歩を進め、腰を狙った二本を蹴飛ばし、左の一刀を弾き、右の一刀を白羽取り――
「てい!」
 キン! と甲高い音が鳴る。
 白羽取りの一刀で五本目を弾く。
「――――――」
「………………」
 距離を開け、二人の視線が交差する。
 青年は《ブレイド》を用いることなくここまで防ぎきった維遠に。
 維遠は五刀の円月刀を寸分の狂いなく、余裕さえ見せて操る彼に。
 驚嘆を示して睨み合った。
 ともに胸中に去来するのは『流石』の一言。
「前回の対戦者すら五刀目を処理するのには自分の《ブレイド》を使ったのだがな」
「余裕見せてる相手には余裕見せとかんと」
 軽口を交わす。互いに余裕はある。
 青年が全力でないなら維遠もまた全力でない。
 当然だ。
 彼の気迫は殺人鬼のものに比べてはるかに薄く、緩く、弱い。
 彼の剣はレヴェッカのものに比べてはるかに軽く、遅く、鈍い。
 切り落とすことを考えた剣でもなければ、打倒するための魔術も組まれてはいない。
 あれはただの剣が宙を舞っているに過ぎない。
 そんなものが十を超え、百を数えたところで、維遠を追い詰めることはできない。
 それでも――
「まともに動かれんヤツを殴るんはな……」
 偽善だ。わかっている。
 わかっているからこそ貫きたいものでもある。
「随分と余裕だけれど……なにか考え事かい?」
「…………。おにいさんの望みってさ」
「足だよ」
 即答された。
「……だよね」
「現状に不満はないよ。ないけど――可能性があるなら賭けてみたいじゃないか」
「あぁ……うん」
「恋人と並んで歩くのは僕の夢なんだ」
「うん」
「ささやかで――正直、命を懸けるほどではないかもしれない。でもね」
「いや、ええです」
「――そうかい」
「そういうのは……薄っぺらい言葉ですけど、人それぞれですから」
 何が大事で、どれが大切かなんて人それぞれだ。
 多くの人間が大事に思うものがある。
 ほんの少しの人間だけが価値を認めるものがある
 維遠にとっての『アタリマエ』が彼にとっての『アタリマエ』ではないのなら。
 そこに彼が価値を見出して何が悪い?
「うん。きみはいい奴だな。できれば斬りたくはないんだが」
「ムリです」
「言うね」
「おにいさんの剣――《ブレイド》、《ダンス・アンダー・ザ・ムーン》って言いましたっけ? これ、魔力付加してないでしょ?」
「――どうしてそう思う?」
「前回の対戦相手がそれの凄腕でしたから」
「――なるほど」
 そう。レヴェッカの腕は間違いなく、優勝を狙えるものだった。
「ついでに言うたら、中・遠距離戦の凄腕でもありましたから」
「なるほど、僕の腕はそこまでではないと」
「ええ。これまでの対戦相手がどういう《ブレイド》やったんか知りませんけど」
「そこまで言われちゃ、本気を出さないわけにはいかないな」
 言って、青年は右腕を突き出した。
「前回の対戦相手は十本で倒せた。――きみは、何本まで耐えられるかな」
「その発想はやめといたほうがエエです」
 攻撃を遮るように答える。
 右手で掴んだままの円月刀を投げ返す。
 音を鳴らして受け取ると、青年は怪訝な顔をした。
「操れる限界数まで一気に操ったほうがエエです。その気になったらこの距離、コンマゼロ秒で詰めれますから」
 青年と維遠の間にある距離は十五メートル以上。
 《エンハンス》だけではムリだろう。しかし一昨日に見せた、みかんを助けたときの加速を使えば容易い。防御ではなく攻撃にどれだけ使えるかはわからないが。
「………………。嘘をついているようには見えないが」
「できれば魔力切れを狙いたいですけど。おにいさんの魔術はかなり燃費良さそうやからムリかなって。せやから――」
 体が――中に潜む何かが命ずるままに、構えを取る。
「全力出してください。それ全部躱してそこまで辿り着いてみせますから」
「ほう。では遠慮なく」
 青年と維遠の間を遮るように。
 天を覆うように。
 背走を許さないように。
 三百六十度取り囲む。
 その数――ざっと二百。
 名を示すようにくるくると踊りながら維遠を包囲する。
「今の僕が操作できる限界は二百十六本。さて――何秒耐えられるかなッ!?」
 その全てが切っ先を維遠に向け――発射された!!
「――ふん」
 一つ息をつき、青年に向けて駆ける。《エンハンス》を使うことなく。
「な……」
 代わりに使ったのは《オーラ》だ。全身を包み、穿ち、射抜こうとする円月刀の全てを弾き飛ばしていく。回避運動すら必要ない。
 それはただ維遠を守るためだけに存在する魔術。
 あらゆる魔術、あらゆる《ブレイド》、あらゆる攻撃から身を守る微光。
 星屑をかき集めたような、薄灰色に輝く光をまとって、走る。
 五秒もかからなかっただろう。
 青年の前に立った。
「降伏してください」
 すでに攻撃は止んでいる。当然だ。意味がないし、下手をすれば自分を巻き込む。
「――なぜ?」
 それは何に対する疑問だったのか。
 維遠が降伏を勧める理由か。彼が降伏しなくてはいけない理由か。
 あるいは、取り巻く全ての理不尽に対する怒りの発露だったのか。
「――――――」
 それが何に対するものであれ、維遠に答える術はない。元より答えも持ち合わせていない。
 降伏を勧める理由にさえ、だ。
「断る。このまま攻撃を続けていればいつかきみの魔力も途切れるだろう。そのときこそ僕の勝機じゃないか」
「そうですか」
 言って維遠は青年の首を打った。
 一昨日、殺人鬼にしたよりも丁寧に優しく、けれど一昨日よりも明確な意志と覚悟を乗せて。
「………………」
 《オーラ》を解く。
 わかっていたことだ。
 それは昨日も思ったことだ。
 どれだけ、――どれだけ強く思おうが、願おうが、それに見合うだけの力がなければ勝てない。
 勝つということは敗者を作るということだ。
 そこには不平等しかない。
 それが理不尽だと――考えないわけではない。それが世界だと受け容れるしかないこともわかっている。
 それでも、だ。
「こういうのはつらいな」
「そうね」
 いつの間に着いていたのか、みかんが答えた。
「いつだって蹂躙されるのはささやかな願いだものね」
「けど、俺なんか」
「願いなんかない?」
「……ない」
 迷った。でも『ない』と言える。言えた。
「じゃあどうして負けてあげなかったの?」
「それは」
「わたしは維遠が負けても良かったよ」
「でも、みかんやったらこの戦いに勝たれへんねやろ?」
「わたしが勝ってって言ったから?」
 それが最大の理由だと思う。しかし――
「いや」
 それを言うのは憚られた。まるでみかんのせいにするみたいで。
 それに、維遠には維遠なりの目的がある。
 その目的のためにレヴェッカを倒し、そして今、青年を倒した。
「ああ、いや……」
 見回す。気絶くらいでは勝利にはならない。
「降伏でいいわ」
 アルトの落ち着いた声が聞こえる。
 車椅子の前、青年の顔を覗きこむように亜麻色をしたウェーブの長髪の女性が屈んでいた。
 彼の天使だろう。
「そう。――承認したわ」
 みかんが答える。
「戦いのたびにそんなこと考えてちゃ、身がもたないわよ」
 立ち上がり、微笑んだ。慈しむような視線。
「で? 勝利者のあなたは彼に何を望むのかしら」
「あ……」
 すっかり忘れていた。昨日はあれよあれよと言う間に別れてしまったし。勝利の確認すらしなかった気がする。もちろん、みかんはしていただろうが。
「じゃあ、この戦いのことは忘れて――ってやったらあなたが困りますかね?」
「そこまで気を遣わなくていいわ。そんなのどうとでもできるし彼には恋人もいるしね」
「じゃあ、《ブレイド》捨てて、戦いのことは忘れて、みなさんと仲良く暮らしてください」
 不満はないと言っていた。それが本当かどうかはわからない。
 それでもあったかもしれない可能性をいつまでも引きずるよりは、すっぱり忘れてしまったほうがいいだろう。
 自分が希望を絶ったことを忘れてほしいだけのエゴもある。
 けれど。
「俺は覚えときますから」
「ええ。ありがとう」
 やはり彼女は柔らかく微笑んだ。
「――維遠」
 その和んだ空気を打ち消すようにみかんの警戒する声が響いた。
「え?」
「おかしいわ」
「?」
 みかんが女性天使に水を向けた。
「あなた、結界は?」
「解いたけれど――……え?」
「じゃあ、なんでまだ結界が張ってあるの」
「待って、わたしは本当に」
「わかってる。そもそも決着が付いた時点で結界なんて自動で晴れるわ」
「――じゃあ」
「あなたはその人連れてさっさと逃げて。たぶん――」
「四戦目が始まってるってことか」
「ええ」
「え――」
 固まる女性。それを叱咤するようにみかんが声を上げる。
「いいから。早く逃げなさい。結界に出てしまえばもう入れないわ」
「え、ええ。ごめんなさい、それじゃ」
 慌てて、青年を車椅子ごと抱えて去っていった。
「まずいわね……」
「いや、まあ、アレくらいの戦闘の後やったら」
「よくない。この戦い――バトルロイヤルよ」
「は?」
「四人で生き残り戦……か」
「トーナメントちゃうんかい!」
「人数が多いときはこういうこともあるわ。でも、よりにもよってこのタイミングでなくてもいいのに!」
 連戦に継ぐ連戦。三日目にして四戦目。
 ペースとして異常なのは維遠にも理解できる。
「とにかく警か……」
「た、助けて!」
 みかんの言葉を遮る、絹を裂くような叫び。
 目を向ける。
「……はァッ!?」
 そこには黒い片手半剣バスタードソードを持った中年の男と――
「助けて!」
 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、全裸で走る、さゆりがいた。

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