Battle on the battlefield [REAL]

 非常に失礼な話なのだが。
 緊急事態だということを差し引いても、むしろ差し引くことも不要なくらいに、維遠は冷静に――そう、極めて冷静に、さゆりを観察していた。
 おそらくは《ブレイド》として参加していたのだろう彼女は今、中年の親父に追いまわされ、必死にこちらへ走ってきている。
 顔は涙と鼻水にまみれ、全裸――と言うと語弊があるが、しかし服は隠すべきところを隠せておらず、靴も片方は脱げており、いかにも襲われたところを無理矢理逃げてきた、という風で、たしかに見る者が見ればエロティックだったろう。
 それは犯される、穢される、踏み躙られるという、命そのものではなく、尊厳を傷つけられることからくる恐怖。男では生涯理解しえないであろう、自分を侵食される恐怖。
 それを剥き出しで駆ける少女はたしかにその瞬間、女性であったはずだ。
 きっとみかんに出会う前の維遠なら完全に動揺していただろう。昨日の維遠でさえ冷静ではいられまい。
 しかし維遠は完全に――その、動揺していないという事実に動揺しそうになるほどに――冷静だった。
 あまつさえ、彼女の躰を貧相だと評していた。
 未完成ながら豊満な体を持ったレヴェッカ。
 未成熟ながら完璧な体を持ったみかん。
 レヴェッカの裸体を正面から見たわけでも、みかんの裸体を現実で観察したわけでもないが、少なくともこの二人の体つきは現実離れしていた。
 そのことで免疫がついていたのか、あるいは今朝方《夢幻》で死にそうになるほどみかんと交わったせいか――それ以上に彼女がここにいる可能性を随分前から考慮していたせいかもしれないが――見知った人間の裸体であるというのに維遠にはなんの感慨もなかったのだ。
 裸の人形を見たときのような、服を着せられていないマネキンを見たときのような、なんとも言えない妙な気まずさを感じるだけで。
 目を逸らすことはなく、気を削がれることもない。
 彼女の危機的状況において、それは最低な行為だったが止められはしなかった。
 彼女と恋愛関係になる云々と考えてこなかったわけではない。
 だがもう、それは永遠にありえないと維遠は理解してしまった。
「――――――」
「助けて!」
 たぶん、さゆりは目の前の人間が維遠だと気付いてもいない。それだけ必死で、それだけ絶望にさらされている。
 その彼女に追い討ちをかけるように。
「ケッ! もう別のヤツがきやがった!」
 痩せぎすの、神経質そうな親父が黒の片手半剣バスタードソードを振るう。
 強姦など、する発想さえなさそうな男はしかし、粗野な言葉と態度で剣を構え――
「死ね!」
 直径三十センチほどの火球を撃ってきた!
「ちょ――」
 それは維遠ではなくむしろさゆりを狙う軌道で。
「布引!」
 左手でさゆりを庇い、右手に《オーラ》を展開し、叩き落す。
 鈍い、弾ける音が響く。
「ふぇ……?」
「じっとしとけよ!」
 言って横抱きにする。
「ふえぇぇえ!??」
 混乱するさゆりを無視し、その場を離脱。
 親父と距離を取って、隠れることにした。

 遠距離魔術を相手にするならある程度の遮蔽物があるほうが有効だが、残りの一人と挟撃されると厄介なので、マンションの中にまでは入らず、入り口付近で様子を見る。
「大丈夫。なんとか撒けたみたい」
「サンキュ」
「……別にいいけどね」
 ジト目で見てくる。維遠の隣にはさゆりがすわっている。震えて、維遠にしがみつくように引っ付いているのが気に食わないようだ。
 さりげなく頭を撫でているのもお気に召さないようで。
「随分と色男になったものね、維遠も」
「えぇー……」
「やっぱり飽きたらポイなのね……」
「えー……」
 なぜ、そういう結論になるのかさっぱりわからない。
 いや、自分でもちょっと、というかかなり距離が近いとは思っているが、横抱きから下ろすとすぐにしがみつかれたのだ。それを突き放すことなどできるわけもなく。
 さゆりには申し訳程度に自分の着ていたジャンパーを被せている。
 やはり目に毒だ。申し訳なさが先行するということもあるが。
「それは今夜ゆっくり追及するとして。実際どうするの? ソイツが脱落してるならあと二人相手にすることになるけど、まさか庇ったままで戦う気?」
「さすがにそれは……。落ち着いたら結界から出てもらおかな、とは」
「イヤッ!」
 維遠の言葉を遮ってさゆりが叫んだ。
 驚くくらいの力で維遠に抱きつく。
「………………」
「――――――」
 みかんが半眼で睨んでいる。
 維遠は細目でアイソ笑いを浮かべて。
 たしかにレイプされたのか、されかかったのか不明だが、貞操の危機に陥っていた女の子を放り出すような真似は良くない。
 そもそもさゆりの恰好が恰好である。
 今度は結界の外で襲われかねない。
 だが実際問題として彼女を抱えたまま戦えるわけがない。
「どうしたもんかね……」
「ソレを捨てればいいのよ」
 すでにソレ扱いである。
 しかしそれがどうでもいいと思えるくらいに、みかんの提案は非人道的だった。
「いや……さすがにそれは」
「じゃあ百歩譲ってソイツ」
「論点はそこじゃねぇ」
 しかも百歩も譲っているのに、そこ止まりである。なんとなく予感していたというか、レヴェッカに対する応答がやはり意外だったというか。
「いいじゃない! どうせ負け犬なんだし! そこまで維遠がかまう必要ないわよ!」
「………………」
 妬いているのだろうかと思う。しかしそれならレヴェッカに妬いたほうがわかりやすい気がする。
 良くも悪くもさゆりは幼馴染の域を出ない。さっきそれが確信に変わった。
 ではレヴェッカなら浮気するのかと言えば――落ち着こう、浮気ってなんだ。
 深呼吸。
「勝ち負け云々は別にして、ていうか、まあ、襲われてる女の子はほっとけんやろ、さすがに」
 力を発揮できるならばなおさらに。ましてさゆりは知り合いなわけで。
「結界から出してポイしようとしたくせに?」
「ぐ……」
 痛いところを突かれた。
「命のほうが優先順位高いかなァって思っただけやろ。死んだほうがマシってこともあるなァって考え直したけど」
 完全に何も考えていなかった言い訳だが。
「そ。ならもうさっさとソレを殺しちゃってオッサンを殺しにいきましょう」
「それはなし」
「じゃあもう負けましょ」
「それもない」
「………………ワガママ」
「ワガママ結構! 俺がやりたいようにやる」
 言い切った。怒られるかと思ったが、
「当然よ。戦うのは維遠だもの」
 むしろ推奨された。
「それでも命を懸ける必要はないことを覚えておいて」
 いつかと同じ、真剣な青い瞳。
「わかってるし、大丈夫やって」
 気楽に答えた。
「じゃあ現実問題としてどうするのよ?」
「……ふむ」
 だが良い解決法が維遠にあるわけもなく。
「あ、あの」
「お前はちょっと黙っとれ」
 さゆりの言葉を遮った。声を上げただけでみかんの機嫌が悪くなったからだ。
 進む話も進まなくなる。
「もう一人とさっきのおっさんが戦ってくれてへんかな?」
「なくはないでしょうけど。ソレを襲ってる最中を狙ってないところを見ると傍観に徹してると考えたほうがいいでしょうね。残った最後の一人だけ戦うつもりだと思うわ」
「なるほど」
 ならば逆に言えば。
「サシで戦える可能性が高いわけか」
「ええ。もっとも、決着がつくと同時に狙われるでしょうけど」
「このへんまで来ると遠距離攻撃手段は標準実装されてるっぽいしな」
「むしろ維遠みたいに専守策しか取らないほうがおかしいのよ」
「ポリシーやからエエの!」
「ならせめてソレは置いていきなさい。邪魔になるだけなんだし、維遠が戦ってる間はそう危険じゃないわ」
「………………」
 『ソレ』扱いについて咎めようと思ったがやめておく。不毛な言い合いになるだけだろうし、なにより維遠もそういうことはよくする。本人を目の前に断言することはめったにないが。
 だからみかんの提案のほうを考えることにした。さっきに比べれば――比べるまでもなく――良識的で、なかなか良いように思う。
「布引はそれでエエか?」
「……うん、さっきもそう言おうと思って」
「ああ、ワリ」
「謝らなくていいわよ」
 何ゆえみかんが答えるのか。
「んなら――」
 探しに行こか、と言うその前に。
 さゆりとみかんを抱えて跳躍、瞬間後に爆音。三人がいた場所が吹き飛ぶ。
「さっきから不意打ちばっかりか!」
 毒づくが、男には関係ないようだった。見据えるというよりも睨むような視線でこちらをうかがっている。
「みかんも布引も離れてろ」
「ん」
 さゆりも恐怖がよみがえったようだったが、維遠の真剣な態度にすごすごと下がっていった。
「悪いけど、あんまり時間かけてるわけにもいかんみたいやし――」
「死ね!!」
 男が剣を一振りすると三発の火球が飛んでくる。
 ――クソ!
 躱せない。後ろの二人に直撃する。二人が隠れるか、離れるまでは弾くしかない。
 《オーラ》を両手にまとわせ、弾く!
 道路わきの壁が崩れ去る。――重い。
 さっきの青年の《ブレイド》と比べるべくもない、純然たる『ありえべからざる存在』が、あの火球だ。
 ただの炎の塊が飛んできたのではない。あれはきちんと殺すために編まれた魔術――魔力の塊。それが炎の形を取っているにすぎない。
 それが。
「オラァァァ!!!!!」
 雨のように降らされる!
「おいおい……」
 前に出て、その全てを叩き落していく。さゆりに、なによりみかんに当てさせないために。
 道路が割れ、壁が崩れ、その向こうの家々が倒れていく。
 昨日のレヴェッカとの戦いを思い出しながら、しかし一撃当たりの重さはおそらくこちらが上。魔力特性マナカラーが込められていないところを見ると、この火球それ自体が彼の魔術なのだろう。
 《オーラ》ごと吹き飛ばそうとするこの威力は、さすがにここまで勝ち抜いてきたと言うべきだろうか。
 だが連撃数で言えばはるかにレヴェッカが上なのだ。威力だけで押し切られるほど《オーラ》は弱くないし――
「セイッ!」
 右ストレートでそのまま男に返す。
「ひぃっ!」
 焦ったように躱したお陰で火球の雨が止んだ。
 ――維遠も弱くはない。
「はぁ……はぁ……」
 それでも。
「しん……ど」
 三日連続で戦って、本日二戦目。先の戦いがそれほど消耗するものではなかったとはいえ、疲弊は募る。
 その疲労を押し殺し、男を見やる。今の回避を見るに防御慣れしていない。おそらくこの攻撃だけで押し切ってきたのだろう。
 レヴェッカに匹敵するだけの攻撃力だ。それが出来たとしても不思議ではない。
 となれば昨日と同じく魔力切れを狙えばいいわけだが。
「もう一人残ってるしな……」
 こちらとしても無茶な戦闘はできない。魔力温存しつつ無力化するには結局、懐に飛び込んで昏倒させるのが手っ取り早いわけで――
「特攻するか?」
 《ブラックドラグーン》ほどの連射数はないのだ。適当に躱しながら突っ込めばほとんどダメージは喰らわずに済むだろう。みかんたちもすでに退避している。
「て、テメ、ビックリさせやがって! 大人しく死ねよ!!」
「あ、アホか!」
「目上の人間にアホとはなんだ!!」
「目上の人間やったら簡単に死ねとか言うな!」
「うるせぇ! ガタガタ言ってねえで、ブルブル震えてビビってりゃいいんだよ!」
 もう、言っていることがメチャクチャだった。
 力に溺れているというか、力に踊らされているというか。
 わからなくはない。
 結界内という限定条件付きとはいえ、常人では振るうことのできない力を手に入れたのだ。興奮するなと言うほうが無茶だろうし、冷静でいようと思っていられるものではないのは維遠も同じ。結界外ならどんなに相手が理不尽でも『アホ』なんて言わないし、言えない。
 それが言える程度には維遠だって調子に乗っているし、興奮している。
 どれだけ防御を固めようと命の危険はあるのだ。
 F1のレーサーの気持ちはこんなものだろうか。どれだけ自分が気を付けようとも相手にその気がなければ巻き込まれて死ぬ。いや、お互いに気を付けていようと死ぬ危険性が消えるわけではない。
 この戦いも同じ。
 維遠に殺す気がなくとも向こうにあれば必死にならざるをえない。レヴェッカと戦ったときのようにお互いに殺意がなくとも、結果として死ぬ危険は常に付きまとう。
 戦術として防御一辺倒が不利なことは重々承知している。
 それでも維遠はそれしか選択できなかった。
     ・・・・・・・・・・・・・
 みかんとみかんを大切に思う自分の心を守るにはそれしかなかった。
 力に溺れることがただただ怖かったのだ。
 攻撃する手段には他者を蹂躙する快楽を刷り込ませる魔性が宿る。
 この《戦い》に限らず、その魔性と戦うことこそ維遠には怖かった。
 だから可能な限り他人を遠ざけ、己の攻撃が届きようのない強者のみと付き合うように努力した。
 攻撃に類するような、罵倒、侮蔑、あるいはもっと低俗に嫌がらせなど――ともかく相手を貶める、陥れるようなことがないように、したとしても相手が防げるように。
 傷つくことは怖くはない。痛い思いもするだろう。つらいだろう。あるいは怖いと言えるだろう。
 それでも。
 他の誰かを傷つける恐怖に比べれば恐怖ですらない。
 ならば――
「俺はブレイドには頼らん」
 この戦いにおいてさえ、攻撃の手段を己の拳に任せることは傲慢だろうか?
 命をやり取りする、その死地と言えるだけの場所で、もっとも融通が利き、攻撃力の低い細身の腕にそれを託すことは愚かだろうか?
 甘かろう。
 ぬるかろう。
 臆病だろう。
 慢心だろう。
 だけど!!
 ・・・
「お前はそれでいいって言うてくれたからな」
 ここではないどこかにいる誰かに向かってつぶやく。
「ゴチャゴチャ言ってねえで死ね!」
 男が己の剣を振るう。
 柄の長い、鍔を握るのではなく、単純に柄で両手持ちができるように作られた、どちらかと言えば太刀のような作りの片手半剣バスタードソード
 刀身にも黒味がかかり、鍔も柄も黒い、重厚な雰囲気をまとったそれは主のなすままに袈裟斬りの軌道を描き――その軌道上から数発の火球を撃ち出した。
 防御を固めることで戦いを乗り切ろうとする維遠に、相手を傷つける覚悟など決まろうはずもない。
 いつでもおっかなびっくりで綱渡り――いや、紐や糸の上を歩くように怖々としか進めない。
 それでも前に進もうと思えるのは、進めているのは。
「維遠!」
 背中に大事だと思えるものがあるからだ。
「あいよ――!」
 その撃ち出された火球全てを男に向かって返す。
「ひ――」
 飛び退き、それでも躱せないものは《ブレイド》で弾く――否、それは単に当てているだけの粗末な防御。目さえつむっている。
 その隙に懐に飛び込み、アゴを打ちつけた。
 綺麗に入れなければ意識を刈れないソコは、普段は狙わない場所だ。成功率が低いし、その分だけ痛みが残りやすい。
 今回に限ってそこを狙ったのはさゆりのことがあったからだ。
 ストレスのたまることでもあったのだろう。学生ではわかりようのないつらさがあったのだろう。だからといって――
「……キレイに入ってもたな」
 ――敗者をいたぶっていい道理はない。
 白目を向いて気絶した男を抱え、そのまま横たえる。《ブレイド》をもぎ取り、みかんに声をかける。
「これ、天使やったら壊せるか?」
「――なるほど。たしかにそれなら概ね《ブレイド》を無効化できるわね」
 多くの《ブレイド》は《ブレイド》を媒介に魔術を使う。一昨日の殺人鬼のように《ブレイド》なしでも扱えないことはないが、そういった例はまれだ。ならばわざわざ天使を探し出してコマンドを壊す必要も、降伏を勧める必要もない。
 特に今はバトルロイヤル。その時間が惜しい。
 納得したみかんに向けて放り投げる。
 入れ違いにさゆりが嬉しそうに駆け寄ってくる。
 みかんの目が不機嫌そうに細められた。制止したくとも《ブレイド》を壊さねばならないので諦めたようだ。
 やれやれといった風情であっさりと黒の片手半剣バスタードを折る。
 それを見届け――
 維遠は自分の体が動かないことに気が付いた。
「――ッ!」
 戦闘終了後が一番に狙われるとつい先ほど言っていたばかりだと言うのに。
 致命的な油断。だが何よりこのままではさゆりを巻き込む!
「布引! 離れ――」
「ごめんね」
 唐突なさゆりの謝罪の言葉と熱に浮かされたような妖艶な微笑。
 そしてその手に握られた、四分休符のように曲がりくねった短剣が――
「ウ……そ……」

 維遠の腹を貫いた。

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