――水が這い上がる。
足元から滾々と湧き上がり、踝を超え、膝を超え、腿を超え、腰を超え、腹を超え、胸を超えて、首に至って、口を塞ぐ。
海に埋葬され、重みが消え、空に浮かぶ。
景色はひたすらに青く、光景はただ碧く、視界はすこぶる蒼い。
体はずんずん沈み、水面めがけて飛び出す泡沫に心が蕩け。
見開く瞳を焼き尽くし、触れる肌を焦がして融かす。
一体化する。
周囲の水と、覆い尽くす空と、終わりのない海底へ、溶けて混ざり合って――
――己の心臓に刃を突き立てる。
胸元から昏々と零れ落ち、胸を濡らし、腹を濡らし、腰を濡らし、腿を濡らし、膝を濡らし、踝を濡らして、大地を濡らす。
天に火葬され、ひたすら重く、海に沈む。
視界は赤く染まり、光景は紅く明滅、景色は三千世界。
ふわふわと流され、手先から砂と零れてゆく。
風はただ穏やかに、太陽は苛烈に。
分離する。
逆巻く風と、果て無き大地と、手の届く天へ、拒絶され確固として。
‡
内在型《ブレイド》の最大の代償は耐えがたい痛みだ。
人体の各所に寄生し、その箇所を延々と苛まれる。
レヴェッカの場合は両腕だった。
切れ込みを入れた腕に異物を突っ込み、それで骨をぐりぐりと擦りつける。
熱湯で茹で上げ、バーナーで焦げ目を付け、仕上げに擂り潰す。
一枚一枚ゆっくりと皮を剥がしてゆく。
彫刻刀で紋様を刻み込む。
素直に切り落とされる。
およそ考えられる限りの苦痛をその寄り代とする人体に施される痛みに耐えて初めて、その《ブレイド》との契約が終了する。
そして取り出すたびにその苦痛に苛まされるのだ。
だから維遠と戦ったとき、《ブレイド》を使わないことを臆病だと頭の片隅で嘲ったのだ。
そしてそれは正しかった。
誰だって、あの痛みには臆病になる。腕の痛みなど慣れてしまった彼女には取るに足りない。
心臓を抉られる痛みに比べれば。
今、維遠がやっているのはそういうことだ。
生きたまま、痛みを感じたまま、自分の心臓を取り出す行為。それが彼が《ブレイド》を装備するということなのだ。
その苦痛に耐えられる人間がいることがすでに驚愕だった。幻覚ですら抜き取られれば死ねるというのに。
あの莫大な魔力量にもうなずくことができる。
己の生死を懸けた報酬が安いわけがない。
「足手まといになるやもしれませんわね……」
負けた自分が未だ結界を認識できることに不安を感じ、入ってみたが、なるほど理解できた。
つまり彼女は維遠の配下ということで認識されているらしい。
飯田に負けた彼女らとは待遇が大きく異なるが、それはそのまま勝者の差ということだろう。
一対一ならばあの男にも負ける気はしないが、五人も配下の人間がいたのなら負けていたかもしれない。戦略に寄るところもあったのだろうが、これだけの数を相手にして未だ敗れていない維遠は充分に強いと言える。
ならば自分の役目はやはり周囲の邪魔の相手だろう。
差しあったっては――
「
巨大剣……」
たった今、自分の攻撃を紙一重で躱した男。
どう考えてもあの下衆な男――飯田に負けるようには思えないが、不意打ち、あるいは騙まし討ちにでもあったのだろう。
「色香に惑わされたという線もありそうですわね」
維遠を拘束する少女のはだけた服を見てつぶやく。視線は男に固定したままだ。
維遠が彼女に殺されることはおそらくない。所詮、《ブレイド》を持たない人間は人間でしかない。下手に助けようとすれば邪魔になるだけだ。
維遠から意識を離し、男に集中する。
昨日の疲れもまだある。一筋縄ではいくまい。
「ですが――」
負ける気はない。負ける気がしないというべきか。
「いざ」
仕掛けようとした瞬間、閃光が辺りを覆った。
維遠の《ブレイド》が具象化したのだ。
‡
恐怖ばかりがこの身を駆け巡る。
ならばどうして覚悟など決まろう。
誰かを傷つける。そのことだけがもっとも恐ろしいことだというのに。
――それでも。
守ると決めた。
よくは知らない。
知ることと言ったら華奢な容姿と美しい容貌、そしてそれに見合う心。
それだけ。けれどきっと充分。
――だから!
胸に手を当てる。
灼熱の塊が心の臓を穿つ。突き破るは柄。
黒い、使い込まれた握り。
それを手に取る。
あとは引き抜くだけ。
「ぐ……ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
一ミクロン進むごとに全身の皮を剥ぐような痛みが、しかし心臓にだけ奔る。
耐えろ! 耐えろ! 耐えろ!
これは痛み。
これを使うことで誰かにもたらす痛みだ!
ならば耐えろ!
使うと決めた! 振るうと決めた! ならば呑み込め!
忘れるな! お前は! 俺は!
決してそうならないと! 愉悦で振るわず、恐怖で振るうと!
今ここで下した決意を! 決して忘れるな!!
「ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
さあ――
武器はその手に宿ったぞ!!!
‡
眩むような閃光のあと、あった変化といえばそれだけだった。
維遠を絞めるさゆりも、みかんを捕らえるカナカも、男と対峙するレヴェッカも。
飯田ですら、その場で呆然としている。
維遠の右手。
そこにあるのは紛れもなく彼の《ブレイド》――日本刀の《ブレイド》だ。
・
柄も黒く、鍔も黒く、そして――鞘までも黒。
そう、彼の《ブレイド》は抜き身ではなく、納刀されていた。
「――え?」
見たことはない。みかんはこの戦いで数多くの刀剣を、《ブレイド》を見てきたがあの《ブレイド》は見たことがない。それ自体は異常でもなんでもない、普通のことだ。
それなのに。
見たことのないはずの既視感で鳥肌が立った。
あらゆる感覚が、知らない記憶が、覚えもない誰かが、あの刀を見たことがあると物語っている。
そんなはずはない。
あんなもの、見たことがない。鞘つきの《ブレイド》は珍しい。見たことがあるのなら覚えている。――否、そも、この戦いに関して忘れるという事象は存在しえない。
見たと訴える体と見ていないと主張する心。矛盾した二つの要素が――
「みかん!」
維遠の声がした。
「だいじょうぶやって」
見ると、さゆりをほどいて――左手に抱えて――こちらに近づいてきていた。
とん、と軽くカナカを小突く。
それだけで、彼女は糸の切れた人形のように崩れ落ち――る前に、レヴェッカに支えられた。
「それがあなたの……?」
「ん。名前はないけど」
その返答にレヴェッカと揃って訝しんだ。
「それはどういう」
ことですの、と続けるのを遮って、
「ハハハ!! 大仰に登場したワリには大したことない《ブレイド》じゃないか!!」
飯田が叫んだ。
見る間にレヴェッカの機嫌が悪くなっていく。セリフを切られるのは昨日に続いて二度目だ。耐えがたいものがあるのだろう。
「とりあえず。ベッキー、この子ら頼んでエエかな?」
「……まあ、そうですわね、この戦いはあなたのものですし」
渋々といった体だが、二人を受け取る。
「それでも三対一、みかんさんまでいるとなると相当不利ですわよ?」
「んー? ま、大丈夫やろ」
みかんに手を回し――
左手一つで抱える。右手には《ブレイド》が一振り。
「おい、神園、お前まさかそれで戦うつもりじゃないだろうな?」
「グダグダ言うてんとはよ来いや、ネクラ」
「ハッ! なんだ、時間制限付きか? じゃあ、やっぱり僕が相手するまでもないな」
飯田の言葉の終わりと同時に、斉藤と呼ばれた
巨大剣の使い手が迫る。
「ベッキー、そいつら頼んだ! できたら結界出といて!」
「わかりましたわ。――御武運を」
二人を抱え、離脱。それと同時。
「サンキューソーマッチ!」
先ほどと同じ、あるいはそれ以上の突撃!
それを右腕の《ブレイド》の剣先で軽々止める。
「な……」
驚きはおそらく三つ。
止められた本人と飯田と――みかん。
「内在型ナメんな!」
弾いて踏み込む! 単純な振り下ろしはしかし高速で――
空振った。
「ち」
速い。突撃と同じ速度で後退した。
つまり進行はまだ速くなるということだ。
「後が詰まってるからなァ……さっさと終わらせたいんやけど」
さすがにそう甘くはない。こちらの動きは掴んだとばかりに連撃が繰り出される。
その大きさゆえに、振り下ろし、横薙ぎしかないはずの攻撃は、予想を裏切り多彩な角度で攻め立てる。
そのくせ重さはそのまま、あるいはそれ以上。近接戦闘に限ればおそらくかなり卓越した技術だろう。
ハンマーの威力でナイフの速さなのだ。弱いわけがない。
だがもっとも厄介なのは――
カッ!
鞘と大剣の剣先がぶつかる。
槍に匹敵する間合いを利用した突き。これが詰めた間合いを一瞬で戻される。
一般的な打ち刀相当の間合いの維遠の《ブレイド》が小太刀あるいは脇差並の小ささに見える。
背丈に匹敵する長さというのは見た目以上に厄介で、それを文句なく扱う技量はさらに厄介だった。
「何をやっている! さっさと終わらせろ!」
飯田の野次が飛ぶ。見ているだけのくせに。しかし観客とはそういうものか。
当たり前だが、さゆりやカナカのように飯田が直接操っているわけではないらしい。
この動きが操作で再現できるなら飯田の《ブレイド》としての強さは超一級ということになるが、幸か不幸かそういうことはなそうだ。
「神園ではなく、女を、本を狙えばいいだろう!」
「残念、さっきから
狙てるで」
必死の形相で攻め立てる青年に代わり、答える。維遠はこれだけの――レヴェッカのあの攻撃に匹敵する連撃を捌きながら息一つ乱していない。
魔術ではなく、《ブレイド》で強化しているせいだ。
「飯田様!」
呼びかける。
「少々手荒くしてよろしいでしょうかっ!?」
言う間に維遠は追い込んでいく。手数で言えばそろそろ維遠が勝り始めている。
「――チ。ああ、構わんぞ!」
「御意!」
維遠の攻撃を大きく弾いて――
「ハァ!!」
垂直に飛んだ。
「――おいおいおいおい」
グングン上昇していく。あれは跳躍の力だけではない。なんらかの
魔力特性による恩恵だ。
「維遠」
「わかっとう」
どんな攻撃が来るのかわからないが、距離は取ったほうがいい。――無駄な足掻きだとしても。
飯田やその隣の男との挟撃も考えたが、彼らには動く様子がない。
「ま、なんとかなるか」
見上げつぶやく。すでに彼の大きさは米粒ほどになっている。
「止まった」
みかんも同様に見上げ、つぶやいた。
そして――
「ゲ」
そのまま落下――否、加速して下りてくる!
横の突撃ではなく、縦の突撃。自由落下の加速度さえも利用したそれは極小の隕石落下にも匹敵する衝撃になるだろう。
「おい! 飯田! これ、お前も――」
「心配は無用だよ。直撃ならともかく、余波程度、こいつのシールドで充分」
それに応えるように隣の男が構えた。鍔と柄尻が一体化して拳を守るカバーになっている剣――
籠柄剣。
「ああ、そうかよ!」
答えたときには巨大剣がすぐそこまで迫っていた。
「《ギガント・インパクト》!!!」
垂直に突き下ろされる剣先をやはり鞘の先で受ける!
「う……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
重い! 足元が踏み抜かれ、周囲が陥没してゆく。
抜けそうになる肩を必死に堪えて――脇に逸らす!
轟音と衝撃と粉塵が辺りを覆った。
「――フン、さすがに壮観だね」
「えらい余裕やんけ」
爆煙を跳び越え、飯田の前十メートルの位置に着地する。
攻撃を受けた周囲十五メートルは全壊もしくは半壊している。道路も家も関係ない。丸ごと巻き込んで、中心地はクレーターになっている。
「さゆりの攻撃に耐えて、アレにも耐えるのか。化け物だな」
左手にはみかんを抱えたまま。
右手の刀を肩に乗せ、余裕を見せる。
「魔力切れやな、彼」
「存外使えなかったな。まあ、いい。これからはお前が代わりだ、神園」
「お、ようやっとお眼鏡に適ったか」
言葉とともに《ブレイド》を向ける。
「ああ。けど反撃はするなよ」
「あ?」
「彼女の痴態が見たいのなら別だが」
言って示した先には――
「ひぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
ツタに絡めとられたさゆりとカナカ、そしてレヴェッカ。
「僕の《ブレイド》は少々変り種でね。身体性能が全く強化されない代わりにセミオートで攻撃と防御をしてくれるんだよ」
隠すように握っていた《ブレイド》を掲げて見せる。原形がどんな剣かまったくわからないが、たしかにそこからツタは伸びている。
彼女らを拘束しているツタとは別にどんどん周囲に伸びていく。あっという間に囲まれた。
「
波状剣の《ブレイド》、《スロゥンズ・ソーン》――能力は《傷つけた者の支配》で、今、彼女は抵抗中というわけ」
にやにやと好色に顔をゆがませてレヴェッカを見つめる。
「ん! んン! ダ、だめ!」
顔を真っ赤にしてレヴェッカは何かに耐えていた。
「ちなみに
魔力特性は《快楽と苦痛》さ。――彼女が何に耐えているか想像がつくだろう?」
「下衆ね」
みかんが言った。
「そう言うなよ。僕だって女性が苦しんでいるのを見るのはつらいんだ」
「明らかソレ狙いやんけ、エロいな」
半眼で睨む。そこには殺意はおろか敵意もないだろう。
怒りなどとうに消え失せた。元々無用の怒りだ。この剣を持っている状況で感情が揺れることはない。
「まあ、別にエエけど」
「ふぅん……さっきとは打って変わって冷静じゃないか。ドブクズでも見るみたいな目つきだったくせに」
「ん? まあ、あれや、同属嫌悪ってやつ?」
「同属? 僕と? お前が?」
一緒にするなと言うような。
「ほれ、ウチの中学で朱陽行ったん俺とお前だけやん?」
「それだけで?」
「重要やろ。お互い、そこそこネクラで、オタで、頭でっかちやし」
「まあ、そう思うのはお前の自由だけど」
「似たようなヤツが悪いことしてたら羨ましいって思うか、鬱陶しいって思うか、どっちかやろ? 俺は後者やった」
「フン、素直に羨ましいと言ったらどうだ? なんだったらさゆりはくれてやるぞ?」
「いらんわ。つか、そういう言い草が気に食わん。モノ扱いはまあともかく、布引は別にお前のモンちゃうやろが!」
「ハハ! 何を言ってるのさ、彼女に僕は勝ったんだよ? 僕のモノじゃなくてなんなのさ。ああ、いいよ、彼女は彼女自身のものだとか、そういうのは」
「いや、推定やけど、ラクの」
幼馴染の名を出す。もっとも、飯田は楽のことを知らないだろうが。
「ラク? ――ああ、さゆりの元彼か。別れさせたはずだが?」
「知るかそんなん。ていうか中坊で付き合うどうのこうのってキモい」
そういうことはせめてデート代くらいは自分で稼ぐようになってからだと思うのだが。一モテない男性として。
「はぁ。お前がさゆりをどう思ってようがどうでもいいよ」
「たしかに」
「……イライラするな、お前」
「まあ、お前のイラつくように喋ってるからな」
「………………。いいよ、じっとしてろ。動けば彼女を殺す」
「ええよ。どうせどうにもならん」
「ハッ! お前には極上の苦痛を味わわせてやるよ!」
言うや、無数のツタが棘となって襲いかかる。あれら一本一本が彼の《ブレイド》の刀身を構成しているようだ。
剣山を削るような鈍い音が響く。――維遠が迫ってきた棘を払ったのだ。
「! 貴様……人の話を聞いていたのか?」
「狙うんやったら俺狙えや。みかんに手ェ出す意味ないやろが」
「そうかよ!」
一本の細長い、針金のような剣身が腕に刺さる。
「さぁ! 存分に苦しめ!!」
激痛が――
「ふぅん?」
走るわけがない。
どれほど飯田の《苦痛》の魔術が優秀だろうと《ブレイド》の要求する苦痛に敵うわけがない。維遠はそれを耐え切ってこの刀を手にしているのだ。
「な……!!」
「お前、バカやろ?」
「決まってるじゃない」
みかんが答えた。
「せやからどうにもならんって言うたやろ」
「貴――様ァ!!」
周囲に蠢く数百本の棘が一気に襲いかかる!
「死ね!!」
数百の針が同時に刺さる音がした。
「死角が多いんは難点やな」
その光景を眺めながら、はるか先から声を送る。
「……! な……ど、どこだ!?」
「ここや」
言う維遠がいるのはレヴェッカたちから一番近い家の屋根の上。
すでに三人とも――みかんも下ろしている。
「す、すみません……」
「ん、いや、悪い、こっちも油断してた。いちおう、魔術は切ったけど」
「ええ……大丈夫です……わたくしも《減衰》で抵抗していましたから」
「ああ、そっか」
「恥ずかしいところを見られてしまいましたわね……」
「あー……」
昨日のことが思い出される。風呂場で一瞬見た、レヴェッカの肢体。
「その件につきましては後ほどということでっていうか忘れるので忘れてください」
「考えておきますわ。――それより」
「ああ、大丈夫やって。――たぶん」
レヴェッカから視線を切り、飯田を見る。
「維遠」
なにかを心配するようなみかんの声。普段は自信たっぷりのくせに、なぜか戦闘の場になると彼女は途端に弱気になる。
「ああ、まあ、この《ブレイド》、疲弊が激しいんよ」
肩をすくめて見せる。
「せやからあんまり使いたないし、使われたがらんし」
その姿をあらゆる憎悪を込めて飯田が睨んでいる。
「そういうことじゃなくて……」
「抱えるんも、もうええよ。ベッキーら見といたげて」
それを嘲笑で受ける。
「アイツはタコる」
「ハッ! できるモンなら――」
「できるわい」
「!!!」
見えなかったことだろう。
さっきの攻撃を躱したのと同じ。今度は間合いを離すのではなく詰めるために動いた。
飯田の目の前。一メートルほどの間合い。
内在状態ではみかんを助けるためにしか使えない高速移動も、この状態ならば難なく使える。
消費魔力の少なさを考えればこちらのほうがはるかに効率がいいのだから。
慌てふためいて間合いを離す。一歩、二歩、三歩、よろめいて四歩。
「横田!」
呼ばれた男がすばやく隣に移動し、壁を展開する。
彼ら二人を完全に覆う、ドーム状のシールド。おそらく《ブレイド》能力と魔術の複合だろう。
「はは! 残念だったな! いくら速く動けても壁は越えられないだろ!」
「――何のための《ブレイド》やねん」
鞘ごと一閃する。
シールドに切れ込みが入り、一瞬後に硬音を上げて砕け落ちる。
「――――!!! お、おい! 横田! どうなってんだよ!」
「こ、これでも最硬です……」
「そんなことはどうでもいいんだよ! さっさと壁を作れよ! でないと――」
そんなセリフの途中で横田という青年は崩れ落ちた。
軽く、とん、と鞘の先を当てるだけ。それだけで充分。
意識と、飯田にかけられた魔術と飯田の《ブレイド》の効果を斬るには充分だ。
「お前の相手やったら抜刀する必要もなかったな。あーあ、布引がここまで勝ってる時点でおかしいと思うべきやった」
肩に刀を乗せ、自嘲気味につぶやく。
「で? 降伏するんやったら受け付けてやるけど?」
「――――! 断る! お前こそいいのかよ! 他のみんなが人質だぜ? 《スロゥンズ・ソーン》は百メートルを五秒ほどで移動する。全員助けて回るには時間が足りないだろう?」
「やれんやったらやってみ?」
まだそんなことを言っているのか、と思う。戦況はすでに終盤も終盤――詰みまであと数手というところだというのに。
「じゃあやってやるよ!!!」
激昂とともに無数の棘が辺りに奔る! みかんたち四人は当然として、斉藤、横田までも標的として狙う。
秒速二十メートルは伊達ではない。ぼんやりしている間に全員に凶器が至り――
「ばーか」
――カ! と甲高い音を立てて、刺さることなく弾かれた。
「他の人間が駒とか言うんやったら、せめて俺と布引が戦ってるんくらいは見とけ」
それは極薄の《オーラ》だ。自分を守ることにしか使えなかった《オーラ》を、他人にまとわせているのだ。
「なん――だと……ッ!!」
その、攻撃が通らなかった事実にようやく気が付いたように、飯田は驚愕をもらした。
「まあ、守れるんはお前みたいなヘタれた攻撃からだけやけど――充分、脅威やろ?」
「貴、サ、マァァァァァ!!!」
棘の矛先が維遠へと変わる。ここに至って彼は本来の敵が目の前にいる事実に気が付いた。否――目の前にいるという危険性を理解した。
秒速二十メートルはたしかに伊達ではない。だが、取るに足りない。
レヴェッカの攻撃はずっと速く、斉藤の攻撃はもっと重い。
傷を付けることしか視野に入っていない武器など、傷つくことを怖れなければ、なんということはない。
半歩踏み出し、己が黒の《ブレイド》を振り上げる。飯田の右手首を正確に打ち上げた一撃は容易に彼の手から《ブレイド》を弾き出した。
制御の離れた《ブレイド》が急速に元の形へ戻っていく。
果たして、地に落ちたときには、宣言通りに
波状剣の形状になっていた。
ツタの一本一本が絡まりあって、一つの剣身を形作っていた。木に絡みつくツタのようだが、絡みついているのは木ではなくお互いの身であるのが、なんだか人間のようで。
「さて。降伏するなら受け付け――やっぱやめよ」
「な――おい! リグエラ! 降伏しろ!」
「あー、無駄無駄。どうせお前、俺が勝つとか言うてあんまりアイツらの話聞いてなかったやろ? そうやなぁ……『わたしは降伏しませんが構わないですね?』とか」
「な――」
「身に覚えアリ? じゃ、ムリ。適当にあしらわれて終わりや」
「よくわかってらっしゃる。アナタのような方をパートナーに選ぶべきでしたね」
どこからともなく声が聞こえる。
「いんや、俺はあんまりこういうギスギスした戦いには向いてないから」
「それでそこまで強ければなんの問題もありません」
「俺がイヤやって話」
「……なるほど」
苦笑が返ってきた。
「それではわたしを探されますか?」
「いんや。前言どおり――タコって終わらす。遺言があればどうぞ」
「いえ結構です」
「さよか」
それで会話は終わった。当の飯田は置いてけぼりで。
「さて、飯田は? なんか現世に残すことでもあれば」
「お、お前、僕を殺すのか!?」
「ルール的には問題ないらしいけど?」
「な――……い、いや、そんなのハッタリに決まってる!」
「うん、そう」
あっさりと肯定した。問題はない。
「でもな? お前ができることが俺にもできるとは思わん?」
「は?」
「せやから――あれ? 右腕どうしたん?」
「え?」
言われて自分の右手を見る。――キレイに取れているのがよく見える。
「あ……アアアアアアアアあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
血飛沫を上げて、ダクダクと音を上げて生気がそこから零れていく。
「あー、アカンで。押さえたら。左手も溶けてもうてるやんか」
「は? …………ああ、あああああああああ!!!」
傷口を押さえていた左手がドロドロと蕩けていく。
爪も、皮も、肉も、骨も、全部全部、混じって溶けていく!
「ああああ!! イタ! イタい!」
「それが気持ちいいクセに」
「ふぐァァァァァァァァ!!!」
走る! 背骨に! 体の中心に! 悦楽が! 快楽が! 快感が!
飛び散る鮮血が! 蕩ける左手が!
我を失うほどにキモチガイイ!!!!
「はぁ……やっぱりつまらんな」
とん、と軽く音を立てて肩に《ブレイド》を乗せる。
実際には飯田にはなんの変化もない。そう幻覚しているだけだ。
「これで勝負が決してくれたら楽なんやけど」
「大丈夫みたい。戦意喪失してしまってるから」
隣に下りてきたみかんが答える。
「そうか。じゃあ……」
言って《ブレイド》を消した。壊した本がそうであるように、泡となって宙に消えていく。実際には維遠の心臓に戻るのだが。
「四戦目はこれで、」
「ええ、維遠の勝利で終りょ――維遠!?」
一気に疲れが出たのか、意識が途切れる。――否。
これは、《ブレイド》を使った代償。
他の誰かを傷つけた報いは正確に使用者に還る。
維遠は、だから、誰かを傷つけるのが怖いのだ。