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 ――この身にあるのは恐怖だけだ。

 傷つけられることが怖かった。だから一人でいることが多かった。
 それを変えたのは一人の少年だ。
 彼に助けられた。今も助けられていて、未だ何一つ返せていない。
 いつからか傷つけることが怖ろしくなった。だから一人でいることが増えた。
 それは今も変わらない。
 傷つけた分だけいつか傷つけられる。忘れたころにやってくるその報いがひたすら怖ろしくて、逃げ回った。
 その恐怖はさらに募った。
 多くの人が傷ついたからだ。天災だった。誰のせいでもなかった。
 それなのになんの傷も負わなかった。失ったものなど取るに足りない玩具だけ。
 誰のせいでもないと知りながら、傷つかなかった報いをいつか受けるのだろうと恐怖した。
 みんなが傷ついたのだ。みんなが傷ついて自分だけ傷つかなかったのだ。
 ほら。
 それは自分が傷つけたのと何も変わらない。
 だからいつかその報いを受けて、傷つくのだ。
 傷つけるのが怖ろしいなど、対外的な――自分に対する――欺瞞だ。
 いつか支払わなくてはいけない報いが、ただただ自分が傷つくのが。

 怖ろしくて仕方がないだけなのだ。

        ‡

 二日前と同じ状況になった。
 《ブレイド》を選択したときもやはり維遠は原因不明のまま倒れた。いや、あのときも今も《ブレイド》が原因であることはわかっているが、その詳細がわからない――手の施しようがないという点で、原因不明なのだ。
 疲労はすでに癒してある。さゆりが刺した傷も、痕もなく治してある。
 それでも彼は意識を取り戻そうとしない。
「……大丈夫ですの?」
 やはり心配そうにレヴェッカが覗きこむ。彼女とて無事というわけではないだろうが、みかんには気遣う余裕などなかった。
「わからない。《ブレイド》選択のときも似たような状況になったけど、そのときは三時間くらいで起きたから……」
「大丈夫だとは思うけど、と」
 うなずきだけで返す。
 だがそれは選んだときの話だ。使った場合にどんな代償が必要なのか想像もつかない。そもそもこの《ブレイド》は不可解な点が多すぎるのだ。
 《オーラ》などと名付けてはいるが、あれはそもそも天使固有の技。
 維遠の保有する魔力量の異常さ。
 維遠の扱う魔術の種類の豊富さ。肉体強化だけでなく、解呪、幻術まで扱える《ブレイド》など知らない。
 そして――通常の《ブレイド》にはないはずの鞘。
 鞘があることになどそれほど意味はない。それは様々な《ブレイド》の形状にそれほど大きく意味がないのと同じことだ。
 そも、刀剣の形状とは鋳鉄技術や敵兵の防御状態に依存するものだ。
 罪人の首を刎ねやすくするために斬首剣が作られ。
 海賊が普段使う刃物の延長として舶刀が生まれ。
 鎧ごと叩き切るために巨大剣が鍛えられた。
 こと、この戦いにおいては刀剣の間合いというものは重要ではない。カナカが西洋剣の攻撃を五指短剣で捌き、維遠が巨大剣の攻撃を日本刀でいなしたように、支える魔術や身体性能の強化の差でどうとでもできるのだ。
 にもかかわらず種類が存在するのは形状が心理的に作用するからだ。
 斬首剣ならば斬る。
 巨大剣ならば叩き切る。
 波状剣ならば傷つける。
 それぞれに特徴を持ち、それが人間に影響を与えるからだ。剣たる《ブレイド》の形状が担う役割とはそれだけのことなのだ。
 ゆえに、剣と魔法が支配するこの戦いにおいて、魔法が占める重要性の割合を考えるのなら、剣に鞘がついているかどうかなど問題ではないのだ。
 《ブレイド》が使い手たる《ブレイド》を不用意に傷つける心配がないこともある。
 ともかく不用であるという観点から多くの《ブレイド》には鞘がついていない。例外は使い手たる《ブレイド》が必要だと判断した場合のみだ。
 だが。
 あの《ブレイド》だけは違うと言える。
 あれは維遠が必要としたのではない。最初からそういう《ブレイド》として存在していたはずだ。そう既視感が告げてる。――知らないはずなのに。
「あんまり難しい顔しとったら皺寄るで?」
 維遠と似た声に振り向く。
「……お義父様!?」
「エエなぁ、そのリアクション、そのセリフ」
 うんうん、と頷くのは維遠の父、波理なみただだ。誰もがハリと呼ぶのだが。
「やはりそうでしたの」
 レヴェッカが得心したような顔でうなずく。
「随分と距離を取ったところに魔力の気配がありましたからシィカに偵察を頼んでいたのです」
 みかんに説明するが、彼女は聞いてはいない。
 顔見知りである分、その驚愕はより大きかったのだろう。
 ――なにせ手には《ブレイド》が握られているのだ。
 維遠と同じ刀の作りの柄と鍔。そして透けるように存在感の薄い刀身。水に墨汁を落としたように、やや黒く濁っている。長さから判断して小太刀だろう。
「とりあえずその辺で倒れてる子らの怪我とか疲労とかそういうのは吸えるだけ吸っといたよ」
 のん気そうにそう言った。
「ウチのバカ息子は――いらんか」
「な、ど、どうして!?」
「いや、僕も参加者やったんよ。二十年くらい前に」
「――――――!!」
 全く気付かなかった。いや――
「あの、唯一引き分けた戦いの!」
 ――知っている。維遠の《ブレイド》とは違って彼のことはちゃんと知っている。
「ん? そんな有名か?」
「ええ、一部の天使には」
 全くの同時に互いの本を潰したことでどちらも敗退した稀有な例だからだ。
「そうでしたか……」
「そうでした。とりあえず僕はできることやったし帰るけど……維遠も連れて帰ろか?」
「その件なのですけど、とりあえずウチへお連れしますわ」
「ん?」
「申し遅れました。月影レヴェッカと申します。維遠さんとは昨日手合わせを」
「これはご丁寧に。神園維遠の父です。維遠もえらい別嬪さんシバいたモンやなァ」
 と、どこか感慨深げに遠くを見た。
「それで、他の方々のこともありますし、まずはウチで様子を、と思いまして。車をこちらに回します」
「俺たちのことなら放っておいてくれて構わんぞ」
 そう会話に混ざったのは斉藤と呼ばれていた巨大剣使いだ。隣には籠柄剣使いの横田も並んでいる。
「飯田もこちらで連れて帰る。嬢ちゃんたちを頼まぁ」
「……わかりましたわ。そちらはお任せします。みかんさんもよろしいですわね?」
「どうでもいいわ」
 維遠がこの状況で敗者に興味など示せるわけがない。飯田に思うところがないわけではないが、直接の原因は《ブレイド》だ。それを使うことになった要因には今のところ、用はないし、早晩使うことになっていたはずだ。たまたま相手が鬱陶しいやつだったというだけで。
「おじさまもいらっしゃいますか?」
「僕? 僕はエエよ。結界が開いてんのたまたま見えて寄ってみただけやから。まあ、疲労回復はボーナスってことで」
「その件については感謝しています。また近いうちにお伺いいたしますわ」
「ご丁寧に。せやけど気ぃ使わんでエエで? こっちも気ぃ使うさかい」
「心得ました」
「ああ、それと。これはまあ、ここにいるみんなに聞いてもらいたいんやけど」
 年長者らしい威厳なる声音。
「月影さんもそうやし、キミらもそうやけど」
 銀髪の少女と青年二人を示す。それから本題に入った。
「まだ起きてへんこの子らのほうが危険性は高いんやけど、キミらが受けた魔術の後遺症言うたらエエんかな? 具体的にキミらが何されたんか知らんけど、敗者いうのんは大なり小なり傷抱えるモンや。せやから――あんまりムリしなや」
 見渡して言った。経験者――それも過程が特殊とは言え、同じ敗者からの言葉。
 それぞれにそれぞれの受け取り方があったろうが、浮かべた表情は一様に安堵だった。
「――ありがとうございます」
 代表するようにレヴェッカが言った。
「いやいや。照れるわーこういうの」
 と言うワリには全くの素面だが。
「んな、ま、僕は帰るよ。みかんちゃんもあんまりムリしなや」
「――はい」
 見透かされるように言われた。彼とてみかんに比べれば赤子同然のはずなのだが。
「じゃあ俺たちも。縁があったら会おうぜ」
「ええ。御機嫌よう」
 しばらくして遠くで再会を喜ぶ声が上がった。斉藤か横田かの天使がまだ残っていたのだろう。
 残ったのはレヴェッカとシィカとさゆりとカナカとみかん、そして維遠。
 ぴ、と軽い電子音が響く。携帯電話を切った音だ。
「数分で来ますわ」
「そう……じゃ、体をお願い」
「みかんさん!?」
「わたしは《夢幻》に行くわ。あなたたちに聞かせられる話かわからないから」
「………………」
 レヴェッカの返事を待たず、みかんは《夢幻》へ消えた。

        ‡

 ――後悔しているかい?
 後悔しなかった選択なんてない。だから取った選択に差はない。差が生まれたのだとしたら、それは、その時々の心の違いだろう。
 ――このまま死んでしまうかい?
 その選択肢はもうとっくになくなっているよ。
 ――最後までやれそうかい?
 やると言うだけなら誰でもできるさ。だから言っておく。

 俺が勝つ。


 目が覚めるとそこは白い異空間だった。もう慣れた。正確には慣れてはいないが驚かなくなった。
 新鮮味がなくなったというか。
「このパターンも慣れてきた感があるな」
「わたしはぜんぜん慣れない!!」
 上半身を起こすとそこにみかんが不機嫌に背中から飛び込んだ。ほぼ体当たりだ。
「命を懸けなくていいって言ったでしょ!!」
「別に懸けてへんやん。危険性があるってだけで」
「同じだよ!!!」
 ほとんど泣きそうな声で、叫ぶような勢いで、言った。
 一昨日に倒れたときにはそうでもなかったくせに――いや、隠していただけで本当はもっと必死だったのかもしれない。ただ、今日はもう隠せないというだけで。
「昨日みたいに限界まで魔力を使って、体力を使って倒れたんならわたしでも癒せる!
でも、選んだときとか! 今日みたいに! 《ブレイド》の代償で倒れられたらわたしには手の施しようがないんだよ!」
「ごめん」
「謝らなくていいよ!! でも! もういいよ! 維遠はよくやってくれたよ! まだ三日しか経ってないのに! もう四回も勝った! 約束なんていいから! もう!」
「大丈夫」
 それしか言えない。背中の彼女の顔を見ることはできないし、抱き返してやることもこのままではできないから、それだけを返す。
 それがきっと彼女を傷つけると知りながら。
「最後までやるよ。後戻りできへんトコまで行く。やないと」
 ぎゅっと強く抱きしめられる。その先は言わなくていいと言うように。
「――やから、泣かんといて?」
「泣いてない!」
 泣き声で叫ぶ。背中にいるのは涙を見せたくないからかもしれない。維遠としてもそのほうがいい。つられて泣いてしまうから。
「あと、たぶん、もう倒れんと思う。慣れたって言うたら語弊があるけど、やり方わかったから」
「………………」
 たぶん、ものすごい疑いの目で見られているのだろう。視線をとても感じる。
「いや、大丈夫やって」
「維遠の『大丈夫』はぜんぜんアテにならない」
 ごもっとも。しかし他に言いようが思い浮かばないのだから、それで納得してほしい。
「んー……でもなぁ……」
「わたし、わがままかな?」
「うん」
 即答した。
「バカ!」
 叩かれた。
 たった今気付いたが、ゼロ距離のスキンシップが恥ずかしくなくなっている。
 《夢幻》であることを差し引いても、なにかを置き去りにしてしまった気分だ。
 胸に回されている細い、折れそうな腕に触れる。
「まあ、でも、そのお陰で力が手に入ったから」
 本当は力なんてほしくはない。
 強くなりたいと思ったことはほとんどない。
 ただ、強く在りたいだけ。
 何ができずとも、ここにいる、と。
 誰かにそう知ってもらいたいだけ。
「あとはそれに馴染んで御するだけやろ」
 目を閉じてしみじみとつぶやく。聞こえたどうか自信はない。けれどそれでよかった。
「………………」
 答えるように腕に力が込められる。聞こえていたようだ。あるいはただ不安なだけなのかもしれない。
 そう思うと少しだけおかしかった。
 怖れるものなど何もないはずの彼女が一体何を怖れているのか。
 理解している。けれどそれを否定するにはまだ少しだけ早い。
 だから。
「大丈夫」
 薄っぺらい言葉で、万感を伝えようともがいた。

        ‡

 気が付いたら眠っていたらしく、目を開くと見覚えのある部屋だった。
「目が覚めまして?」
 みかん同様どこか不機嫌そうに覗きこむ銀の髪。
「おあおうおあいあう」
 声が嗄れている。よほど深く眠っていたようだ。唾を飲み込んで言いなおす。
「おはようございます」
「ええ、おはよう。状況はわかってらっしゃるのかしら?」
「倒れたあと、ベッキーが運んでくれた?」
「でしたら大丈夫ですわね。昨日と同じ部屋ですわ、ここは」
 道理で見覚えがあるわけだ。
「サンキュ。助かった」
「礼を言われるほどのことはしていませんわ。結局、足手まといでしたし」
「いや、最初の一撃止めてくれたんは助かった。俺はともかく、布引が死んでたと思うから」
「………………」
「レヴェッカさん?」
 小難しい顔を浮かべる彼女に声をかける。
「いえ、他の女を助けて礼を言われるのは複雑ですわね」
 みかんといい、どうしてさゆりに敵愾心を抱いているのか。
 二人ならばさゆり以上に引く手数多だろうに。
「そういう問題ではないのですわ」
「は?」
「見た目の問題ではないのです、と言ったのです」
「はぁ……」
 読心術でも使えるのだろうか、この人は。そうだったとしても全く驚かないが。
「えっと、他の人らは?」
 話題を変えるように尋ねると、やはり憮然としながら答えてくれた。
「男子三人はこちらに向かう前に意識を取り戻して立ち去りました。主犯の、頭の悪そうな恰好をした子は微妙でしたけど、残りの二人に連れられて」
 飯田にかけた魔術が解けているかどうかは微妙だが、まあ、大丈夫だろう。
「ショートカットの子――橋本カナカさんはさきほど目を覚ましました。もう一人の子、布引さんでしたか、は、まだ眠ったままです」
「――そか、ありがと」
「礼を言われるほどのことはしていませんと言いましたわ」
「言うだけただやろ?」
「ただより高い物はありませんのよ?」
「……ベッキーが言うと説得力あるな……」
 家が家だけに。
「みかんは?」
「シィカのところだと思いますわ」
「そか」
 それであらかた現状把握は終わった。
「あ、ベッキーこそ大丈夫か? アレ、けっこうヤバイ魔術やったけど」
 思い出したように、というか実際思い出したので尋ねた。むしろ最初に聞くべきはこちらだった。
「………………」
 それなのにレヴェッカは赤くなるだけで答えてくれなかった。なにその意味深なリアクション。
「だ、大丈夫ですわ! ええ! わたくしには《減衰》がありますから!」
 そしてそのリアクションに対する維遠の微妙なリアクションに気付いたのか慌てて答えた。そっぽを向いて。
「……そか」
 それだけ返した。無用な詮索はどちらにとっても、よいことにはならないだろうから。
「むしろアレだけの魔術をあっさりと無効化したあなたの――あれは魔術でしたの?」
「魔術やね。あの《ブレイド》の能力はもっと別のことやから」
「そう。では、あの魔術のほうが信じられませんわ」
「ベッキーかてやろうと思えばできるやろ? 《減衰》ぶつけたらエエんやから」
「しきれなかったからこその、あの醜態ですわ。《ブラックドラグーン》を介さずに魔術を発動するのはわたくしには高等技術すぎます」
「慣れやと思うけどなァ……」
 魔術の発動を《ブレイド》に頼るのはそれがやりやすいからだ。維遠だって魔力そのものを直接運用しているわけではない。
「まあ、魔術の巧拙はともかく。わたくしに関しては心配ありませんわ。幸い、囚われてすぐに解呪していただけましたし。心配なのはあの二人です」
「………………。《快楽》の魔力特性マナカラーか」
「どの程度晒されていたのかにもよるでしょうけど……受けた感覚としては性格が変質してしまっていてもおかしくありませんわ」
 その変質が恒久的に続くのか、一時的なものなのか。一時的なものなら。
「そのときに嫌悪感がうても、振り返ったら」
「湧き上がるということもないではないでしょうね。こればっかりはわたくしもわかりませんわ」
 横を向いて遠くを睨みつける彼女は、自分の無力感をどうしようもできないでいるみたいだった。
「勝者だからと言って、降した敵が降した者の面倒まで見ろとは言えませんけれど……」
「や、わかってるよ。少なくとも布引のほうはなんとかするつもりやから」
 それは勝者敗者云々ではなく、幼馴染として。
 何ができるかわからないけれど、いや、たぶん、何もできないけれど。
 見てしまったものを見ないふりでやり過ごすことは難しいから。
「……この戦いってさ」
「はい?」
「参加って拒否できるんやんな?」
「さあ、どうなのでしょう? わたくしはそういう発想自体なかったですから」
 シィカを助けるために、だろう。
「維遠さんはどうしてこの戦いに? ――いえ、話せるなら、ですが」
「――――――」
 理由はある。原因もわかってる。目的も定めた。
 それでも。
「ベッキーみたいな理由ではないかな……たぶん」
「はっきりしませんわね」
「自分の誇りのため、とは、俺はよう言えん。もっと利己的で――押し付けがましい」
「わたくしの理由が利己的でなくて押し付けがましくないとは思えませんけど」
「………………」
「もっと自信を持ちなさいな。あなたはわたくしを倒してここにいるのです。――そもそも、自分を負かした相手を慰めるわたくしの立場にもなってもらいたいものですわね」
「ごめん」
「謝らなくて結構ですわ。好きでやっていることですもの」
「――――……」
 そのセリフはたぶん、レヴェッカにとっては当たり前のことだったのだろう。
 だから余計に、天啓として響いた。
「そっか……。ありがとう」
「礼を言われるようなことでもありませんわ」
「そのことも含めて――なんかわかった気がする」
 はしゃいだような声になった。だからか、少しだけ目を丸くして、それから微笑で彼女は言った。
「それはよかったですわ」
「うん」
 戦いの本質が見えた。

 気がした。

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