これまで通りに最終日の補習を受け、四日ぶりに普通に帰宅した。
水曜はレヴェッカの家に招かれ。
木曜は帰宅途中で襲われ。
昨日にいたっては授業中に襲撃されたのだ。ちなみに途中早退という憂き目に会った。
気絶したあと、起きられなかったからだ。みかんがごまかしてくれたらしく、特にお咎めもなかった。
ともかくも日常生活の部分は平穏だった。――昨日から飯田がいなくなっていることなど、誤差の範囲だろう。行方は知れないが、生きているらしく、いずれひょっこり顔を出すと、気楽に考えている。
そしてヴィジシルの言ったことが本当なら非日常の部分――この戦いも今日で終わる。
いや、みかんと、ついでにシィカにも確認してもらった。
今日が最終戦であることは間違いないようだ。
長いようで短い、それでも疑いようのないほどに濃密な五日間だった。
みかんとはまるで生まれたときから付き合いがあるかのような錯覚に、陥ることもままある。そのくらい、彼女といることは自然でありふれた出来事になった。
それももうすぐ終わる。
それが少しだけ悲しいと言えば悲しかった。
他の誰かがいなくなることを感情として思うのは初めてのことだ。
結局のところ、維遠の周囲はいる者はずっといるし、いない者はずっといない、そんな環境だった。
目の前からいなくなるのはみかんが初めてなのだとあらためて実感する。
そんな話は一度もしていない。そも、彼女は本なしでこちらにいられる、例外的な天使ではなかったか。
だが彼女は――彼が勝とうと負けようとも――維遠の前からきっと消えるだろう。
その確信が、今朝から続く頭痛とともに、どうしてだか消えなかった。
――また、なんかから目ぇ逸らしてるな
恋也を認めなかったように。
維遠はなにかを認めないでいようと必死に堪えている。
それがなんであるのか、わかっているはずなのに、わかろうとしなかった。
「――維遠っ!!」
「へ?」
みかんの大声で我に返る。
「なにぼんやりしてるのよ! これから最終戦だけど大丈夫かって聞いてるの!!」
「んー? 大丈夫やと思うよ? 昨日の傷もみかんが塞いでくれたし」
痕も残さずに。心臓を貫かれて生きているのは維遠と《ブレイド》の力だが、それを治したのはみかんの力だ。維遠たちでもできなくはないが、痕や後遺症くらいはどうしたって残る。
流石としか言いようがない。
「……最終戦だっていうのに相変わらずゆるいわね……」
「気負うと失敗する性質やからね」
のんびりと市民広場への道を歩く。春の日差しは穏やかで、花はすでに五分ほど咲いている。
満開になるのは明後日くらいだろうか。この時期になると降る雨が今年はなかったのがよかったようだ。
「せっかくやし、花見でも行きたいなァ……」
「このあたりって見るようなところあるの?」
「ベッキーん家でも充分やと思うけど……」
「ああ、なるほど。たしかに」
「まあ、あとは二、三心当たりが」
「へぇ……」
行こう、と気軽に誘えるものでもないことはわかっている。
どうしたってこの戦いはこれまで以上に危険で、間違いなく命を懸けるものになるのだから。
その空気を察したのか、ぽつりとみかんが言った。
「……もう、命を懸けなくていい、って言えなくなっちゃたな」
「んー? 最終戦は降伏ナシなん?」
「たぶん、する暇もないし、ヴィジシルが受け付けないと思う」
「昨日は聞いたのに?」
「昨日聞いたからよ」
「なるほど」
すでに戦いは始まっているということか。
「――――……まぁ、えっか。もともと降りる気も負ける気もないし」
「でも、危なくなったら止めるのは同じだから」
「ま、それは気にせんでもエエと思うけど」
殺しても死なないことはいちおう、昨日、証明した。
それでもなお危険という状況は――
「ないことはないか」
飯田の《ブレイド》の件もある。戦意喪失ですら敗北要因になるのなら、殺しても死なないのは逆にデメリットとして働く可能性がある。
もっとも。
「そんなぬるい《ブレイド》なワケないやろうけど」
気付けば広場の入り口に着いていた。
それを察知したように結界が広がっていく。辺りの人は消え、維遠とみかんだけが取り残される。
そして放たれる禍々しい殺気。それだけで射殺せそうな。
だがこれは狂気によるものではない。昨日のミストと同じく、正気、そしてミスト以上の理性で制御された、徹底的なまでの思考の結果だ。
考え抜いた先の結論として『維遠を殺す』と決定したのだ。
それが――今の維遠ならばよくわかる。
「ま、威嚇にしてはしょうもないけど」
悠々と進んでいく。殺気が濃くなっていく方へ。
「ああ、それと――みかん」
「なに?」
「判断は任せるけど、基本的には俺から付かず離れずで頼む」
「わかってる。邪魔にはならないようにするし、邪魔できる位置にいるようにする」
維遠はみかんを守りたい。みかんは維遠を危険な目に会わせたくない。
双方が納得できる距離感。なんとももどかしい位置に落ち着くのが可笑しかった。
「さて……相手は……」
広場に出る。四方百メートルは何もない、だだっ広いところ。
「…………っ!」
息を呑み、動揺したのはむしろみかんのほうだった。
その真ん中で、迎えるように二人で並んでいる。
一人は昨日見た、漆黒の天使――ヴィジシル。
その《ブレイド》たる人間は――神垣楽。
維遠の長年の。
「ふぅん……」
しかし維遠に動じた様子はない。動揺というならみかんのほうが激しいだろう。
「維……遠……」
「んー?」
「アイツが……」
「みたいね」
みかんに合わせるように止めた足を進める。距離はいつも通りに十メートルほどを保って、ごく自然に対峙した。
「ふむ。少々アテが外れたな」
黒衣の美女が口をひらく。
「もっと動揺してくれると思ったのだが、それがウォッチャーではな」
「まぁ、布引が参加してるくらいやからな。予想の範疇」
「ふむ。では殺す覚悟があると? 十年来の付き合いなのだろう?」
「んー……そのへんは説明しにくいからパス」
「なるほど。人には語れないような心理もあるか」
一人つぶやき、納得する。
「では適当に始めてくれ。わたしは退散するよ」
一足で距離を取り、もう自分には関係ないとばかりに姿を消す。
「維遠……」
「みかんも。ちょっとハデになりそうやし」
「……わかった」
うなずき、彼女も距離を取る。けれど姿は残したままで、それはかえって狙われそうだったが、維遠にはむしろそのほうが都合が良かった。
維遠がすべきは彼女を守ること。相手の打倒は二の次であり、守った結果として手に入れるもの、あるいはただの余力だ。それはこれまでのどの戦いもそのつもりだったし、この戦いも変わらない
だからこそまず確認せねばならない。
・・ ・・
「んで? お前、誰や?」
目の前で対峙する、男の正体を。
「おいおい、それが十年来の親友に言う台詞か?」
「ダウト。この程度、挨拶にもならんよ、楽の《ブレイド》くん」
ニヤリとして言うと、
「ハッ! わかっててカマかけたのかよ! 人がワリぃなァ!!」
隠し切るつもりもなったのか、愉しそうに笑って返した。
「別に? いまいち確信がなかっただけで。まあ、それやったらそれで」
「? いいのかよ? 意識はともかくとして体は正真正銘こいつ――神垣楽って男の肉体だぜ? もっとも、俺の能力で《ブレイド》化しちまってるから、もう人間じゃねえけどなぁ!!」
いちいち声の大きい人格だ。初日の男に少し似ているかもしれない。
「んじゃ、人質としての価値もないな。もともとないけど」
「……――解せねぇな。一昨日の戦いじゃ、クラスメイトと戦うのだって躊躇してただろう? お前。なんでコイツ相手ならそんなに割り切れんだ? そもそも不安じゃねぇのかよ? 俺が乗っ取ってんだぞ、コイツの体を」
「なんや覗き見か? 別にエエけど。で、友人同士やったら戦いたないとか、フィクションすぎ。ていうか殴り合いが解決することかてあるんすよ? 少々殺し合いになったからってどないやねんちゅう話。それと、乗っ取られるようなヘボい精神に用はないです」
「ハハ! 割り切ってるねぇ! そうかそうか! 納得済みか! じゃあしょうがねぇ――俺と戦って死ね」
言うと同時、否、言ったときには維遠の懐でモーションに入っていた。
体中の関節を駆使した技としてのレベル、そしてそれを繰り出す肉体のレベル。
ただ殴るという行為がこれほどまで美しくなるのかと感嘆する。だが。
ぱし、と軽い音がする。
「この程度か? お前」
受けた手には力を、声には嘲りを込めて聞いた。
「ハ! こんなもん挨拶代わりだよ! それと俺の名前は《ヴァルハライト》だ!」
拳を引っ込め、距離を取る。維遠も無理にそれを引き止めない。
「――手ぇ抜くんは勝手やけど、死ぬぞ?」
つぶやく。相手には聞こえるかどうかというところ。
「抜くか抜かねぇかは俺が決めンだよ!!」
楽の両手が輝く。
「まずは前回の決め技から行くぜ!! 《ドラウプニル》!!!!」
膨大な魔力の注ぎこまれた双掌打。あまりに単純明快。それゆえに防御もまた純粋に力を必要とする。
それを維遠も《オーラ》を手にまとって受け止めた。
衝撃が光となって爆散する!
「グ……」
その光が収まったとき、呻いていたのは攻撃したはずの《ヴァルハライト》だった。
魔力が覆っていたはずの両の手はひしゃげ、壊れている。それを呆然と眺め、納得したようににやりと笑って、一振りした。手についた水を振り払うような動作。
それだけで壊れた手は治った。
「……こっちは《ブレイド》本体で抜き身の魔力。そっちはただの人間の魔術。ぶつかりゃそっちが潰れるのが道理だと思うんだがな」
「《ブレイド》化してても所詮は人間ってことやろ?」
「ハッ! 元がなんだろうが《ブレイド》に違いはねぇよ。てことはテメーのその魔術は《ブレイド》をも弾くってこった。教えろ。テメーなんの《ブレイド》使ってやがる」
「まあ、お前よりは上等なものを」
「――ほう」
逆鱗に触れたのか、殺気がさらに濃くなった。
「ヴィジシルの最高傑作たる俺をも上回るってことは、さぞかし名のある天使が創ったモンなんだろうな……!!」
先と同じく魔力をまとわせ、連打を繰り出す!
油断あるいは隙を窺うための攻撃。当てる気はほとんど皆無に等しく、さりとて一撃受ければ致命傷。そのレベルの拳打。
《エンハンス》によって躱し続ける。
秒にどれだけ打ち込まれているのか、もはや維遠でも理解していない。維遠の頭脳とは関係のないところでこの体は動き、そして戦闘は進む。
躱し、躱し、躱し!!
相手の見せた隙にも無反応でひたすらに躱し続ける。
どれほどの間そうしていたのか、不意に《ヴァルハライト》が距離を取った。
「面倒だ。ウォッチャーごと仲良く吹き飛べ!」
伸ばした腕を正面で重ね、手にまとわせた魔力が増大する!
光線系の遠距離技だろうが、集まる魔力が先ほどの双掌打とは比べものにならない。
威力にしても、マンションを崩したさゆりの一撃などものともしないだろうことが容易に想像できる。
おそらく何もしなければ、地平の先まで吹き飛ばすだろう。
躱すことなどできない。後ろのみかんが吹き飛ぶ。
だが《オーラ》でいなすには直径が大きすぎる。見る間に成長し、二メートルを越えているのだ。
「チ……」
「死ね! ――《グングニル》!!」
神の鎗の名を冠した一撃が放たれる!
視界は真っ白な光で掻き消され――
「ハハハハハハハ!!! 跡形もなく消してやったぜ!」
「んなわけあるか」
背後から声をかける。
彼の正面には抉られた大地がはるか彼方――予想通りに地平線の向こうに消えるまで、とはいかなかったが、それでも最大限遠くまで伸びている。つまり、それが結界の端ということだ。
二秒ほどの攻撃だったが、なるほど、その名にふさわしい威力だろう。その名の通りに追尾性があればなおよかったが。
「――――……。躱す余裕なんざ与えなかったはずだが?」
「コンマゼロ数秒あれば充分」
「――――――」
抱えたみかんを下ろすために距離をさらに開ける。
適当なところで下ろし、《ヴァルハライト》を見る。
焦っているというほどでもないが、納得できないという表情。
当然か。通常ならば躱せるようなタイミングではなかった。
「テメーの《ブレイド》がデタラメなのか、テメーの
魔力特性がデタラメなのか」
「お前が弱いだけやろ」
叩き斬った。
「ま、正確には躱し切ったんやなくて《オーラ》で防ぎながらの回避やったわけやけど」
どうでもいいことだろう? と視線に込めた。
「てことは、なにか? ウォッチャーを守るためにあの距離をコンマゼロ秒で移動、その後、あの光でガードしたってことか?」
「みかんごと包めるように肥大化させてな。一昨日もしてたやろ?」
あの戦いを見ていたのならそれくらいは当然把握しているはずだ。もっとも、それらを考慮した上で、さらにどうしようもないほどのタイミングで仕掛けた攻撃をあっさりと躱され防がれたのだ。そう易々と納得できるものでもなかろう。
「ならなんで今日は魔力切れを起こさねぇ?」
「人間は日々成長するものです」
「ケッ! しゃあねぇ、認めてやるよ。――本気でやってやる」
「ふん?」
彼の手には一振りの
西洋剣。
青い、氷雨のような澄んだ蒼色の刀身と、夏の青空の色の柄。
口調と似合わない、爽やかな剣。
「んじゃあ、第二ラウンドと行こうか!!」
先ほどよりもさらに速い動き、そして剣筋。だがもはや維遠自身は知覚してさえいないのだ。どれほど速かろうが、
「ふん」
関係ない。内なる声の命ずるままに体が動く。
片手で白刃取りを決める。
「……やっぱり全部揃ってへんと相手にもならんな」
言って、逆の手で指差す。人差し指の先に光が集まる。
「テメ……!!」
「死ね」
先ほどのお返しとばかり、指先から光線を放つ!
剣を握られていたせいで躱せず直撃し、そのまま吹き飛ぶ《ヴァルハライト》。
バックネットの支柱をへし折り、その向こうの建物に突っ込んだ。
「…………維遠……?」
みかんのつぶやく声が聞こえる。
・
だが声を返すわけにはいかない。そんな隙、奴相手では致命的すぎる。
音も立てず、やはり最初と同じ、十メートルの距離を保って彼は立っていた。
「……ふぅむ。やっぱさすがにアイツに任せきりは無理か」
何一つ変わっていないのに、全く違っていた。
殺気は欠片もなく、ただ純粋にそこに立つだけ。構えもなければ気負いもなく。
にもかかわらず耐えがたい威圧感。殺気だけだった《ヴァルハライト》とは全くの別。
つまりは――
「素直に死んどけよ、そこは」
「はいはいスゴイスゴーイ」
「ウザ!」
神垣楽という男だった。
「まあ、実際、アイツでいけると思ってたからな」
「さよか。相変わらず手抜きなことで」
「――どういうことだ?」
維遠と楽の会話に割り込んだ声。妖艶なはずのそれを驚きで歪め、問いただす。
その主は他ならぬ、楽の天使、ヴィジシル。
「剣のほうが黙ったと思ったら今度は作り手かい……」
「なぜ貴様の人格が表に出ている!!」
維遠のつぶやきを無視し、黒の天使は激昂している。
「そらぁ……俺のほうが上位存在やからやろ」
そして平然と自分のすごさをアピールする楽。
「それがありえないと言っているのだ! 結界外ではともかく、内側では貴様は精神牢獄に囚われているはずだろう!」
「じゃあ脱走したんやろ」
「それができないと言っている!」
「アルカトラズでもあるまいに。まあ、普通の奴やったらムリなんやろうけど――」
言って維遠を見る。
「何事も例外はあるってことやな。こいつみたいに」
「………………」
全く納得していないヴィジシル。《ヴァルハライト》も、ミストもそうだったが、自分の想定を覆すような事態にはあまり耐性がないようだ。よほど強いか、先読みに長けているのだろう。
「まあ、エエやんけ。《ヴァルハライト》やと
魔力特性は使えんけど、俺やったら使えるし、《ヴァルハライト》の力も十二分に使ってやれるで?」
「………………。わたしの調整が不完全だったということか」
「いんや? 俺の事情が少々特殊やっただけや。自信持ってエエと思うで?」
「ふん。貴様程度のバグも解消できなかった時点で失敗だ」
そうして背を向けて去っていく。もう興味が失せたと言わんばかりの態度。実際、もう興味がないのだろう。楽にも、《ヴァルハライト》にも、この戦いにも。
「………………」
「――――――」
二人でぼんやりと見送る。
「で? なんか戦わんでも――」
「それはムリやろ。降伏はアイツが言わんと」
「あー……」
「まあ、本狙いもありやろうけど――」
「せっかくやし?」
「せっかくやし」
頷きを交わす。
「ルールは?」
「どうでも」
「じゃ、いつもどおりで」
「――あいよ」
楽は無形に構える。
それを見、維遠も――
「………………」
――黒の日本刀を取り出す。鞘付きの、使い込まれた刀。
「いつでもどうぞ」
楽が言う。どんなときでも彼は後の先を取る。ゆえに、維遠はいつでも彼に対してだけは先の先――先に攻撃しなくてはいけない。
「はぁ……」
そう。この戦いだけは純粋に――守る戦いではなく――戦うための戦い。
キモチを切り替える。《ブレイド》を構えるとは、程度の差はあれ、そういうことだ。
すなわち――打倒。
「行くぞ」
「いつでも」
もはやこれは殺し合いではなくなった。一昨昨日、レヴェッカと戦ったときと同じく、結果として死ぬことがありえるというだけの、剣と魔法の競い合い。
居合いの要領で構え、
「破ッ!!」
刹那で間合いを詰める。
閃く剣筋は横一文字。胴を薙ぐ軌道。それはしかし楽の、
・・・・・・・・・・・・
「お前の剣は俺には当たらん」
という不可解な言葉で――
「!!?」
防がれた。否、当たらなかっただけで、防がれたのか躱されたのかどうかすらわからなかった。
間合いは十メートルから五メートルに縮んでいる。それ以上に詰めたはずなのだから広がったというべきか。ともかく、その五メートルの距離が維遠の剣閃の前にできたのか、後にできたのかでさっきの言葉の意味が変わる。
前ならば、楽は維遠の攻撃を躱し、後ならば、維遠が攻撃を外したことになる。
「………………」
――そういうことではない。
「……魔力特性――《真実と虚偽》か」
「正解。事実がどうであれ、俺が嘘やと思ったら嘘やし、ホンマやと思ったらホンマになる。そーいう特性。せやから」
「当たってようが、外れてようが、結果として『当たってない』ことになるってことか」
「そういうこと。ちなみに今のはホンマやったら当たってたと思う」
現象を丸ごと否定したのだ。だから今の攻撃は過程が未決定のまま、結果として『当たっていない』ことになった。
楽が躱したのか、維遠が外したのか。結果として楽がダメージを負っていないのなら、それは些細な違いでしかない。それゆえ、そこは曖昧なまま。
永遠に答えが出ない――楽がどれかの過程を是とするまでは。
「さすがに戦闘丸ごと否定するんはムリやけど」
「それできたら苦労せんやろなァ……」
苦笑を返す。相変わらずやることがメチャクチャな男だ。
「まあ、でも」
再び構える。
「それやったら、俺にも対応手段はある」
――海に埋没する。
全身に魔力を巡らせる。
足裏を侵食し、踝を侵食し、足首を侵食し、脛を侵食し、膝を侵食し、腿を侵食し、股を侵食し、腰を侵食し、腹を侵食し、胸を侵食し、肩を侵食し、肘を侵食し、手首を通って五指を喰らい尽くす。
首を蹂躙し、口を蹂躙し、鼻を蹂躙し、耳を蹂躙し、目を貫き、脳天を衝く。
斯くて身は魔を宿し、無形のカタチを為す。
「――《俺の攻撃は当たらない》」
言葉に乗せる。
それは呪いの言葉。自己否定の言葉。他者の肯定。すなわち――
「……観測か。確かに、それは有効」
当たらないなら、当たるまで繰り返せばいい。
それだけのこと。
「けど、俺はそれも嘘にできるぞ?」
「すりゃあエエ。それをも乗り越えてこそ真の《必中》」
「――その意気や良し。かかって来い!」
楽も構える。
ここより先、実態と虚構の入り乱れる――可能性だけが
揺蕩う、ユメとなる。
「――行くぞ」
「……来い!」
斬り付ける。躱され、追い討ちをかけ、やはり躱される。連撃は悉く紙一重の差で楽を捕らえられず、楽の反撃が少しずつ身を削る。血が流れ、流れた血が弾丸となって楽に襲い掛かる。四方八方十六方。躱す術などありはしない弾幕は一つ一つ丁寧に躱されて、一つ一つ大切に蒸発していった。消えゆく我が身を目に映しながら一撃一撃ゆるりと確実に楽を狙い、十把一絡げに命中する可能性が潰えてゆく。当たりはしない。そう言った。それは厳密に厳格に現実と変わり、そして幻想となって固まってゆく。当たらない。当たらない。当たらない。それが現実。それは幻想。現の幻は夢にもならず、定まらぬ記憶のように移ろい、そして誤解だけが募ってゆく。しんしんと、じんじんと。春の花のように、夏の陽射しのように、秋の落ち葉のように、冬の雪のように。あるいは傷口がいつか癒えるように、塞がらない口腔のように。それはそれとしたまま。――指先の光が楽を穿つかのように至り、果たしてそれは楽をすり抜ける。蜃気楼みたい。陽炎を相手にしているように取りとめがなくて、あるいはそれは地獄の苦行のような終わりの無さで、どうしてだか楽が嘘っぽくて――……?
みかんが知覚したとき、維遠の動きは完全に止まっていた。
楽もそれをぼんやり眺めている。
「――さて」
視線はよこさず、しかし完全にそれはみかんに向けてのもので。
「足止めはしたで?」
「――――――」
「ていうても一分ほどやろうけど」
そして振り向いた。何が起こるのか理解している、という顔つきで。
「これでも優勝常連の創った《ブレイド》使ってるんで。アイツが持ってる情報は概ね持ってる」
つまりは、この勝負に決着のついたとき、本当は何が起こるのかを。
「どうする? キミ的には王手やから維遠に勝ってもらいたいやろうけど。それはそれで葛藤があるやろ?」
「………………」
「ま――」
ザッ! と音を立てて、横に逃げる。
「………………」
「――――――」
みかんの正面には納刀された刀を振り下ろした維遠がいた。
「ち……当たったか」
「ふぅん……さすがにそこまで制御できんか」
左手の甲にできたかすり傷を眺め、楽がつぶやいた。
「ていうかその青い剣は飾りか?」
「飾りや」
「使えよ!!」
「………………。でもなぁ……。疲れるしなァ……」
「――次の一撃で決めるぞ。面倒や」
維遠の言葉に、ピン、と空気が張り詰めた。
「………………」
「――――――」
維遠は刀を居合いの要領で構え。
楽は西洋剣を上段に構え。
「一撃必殺!」
叫ぶ。意味などない。技の名に意味がないように。
居合いと同じ軌道で、しかし鞘ごと振りぬく。
間合い、距離など意味がない。当たると思えば当たる。
それが彼らの戦いの全て。
ゆえに――
「――――――………………」
キキキキキキキキキキキキキキキキキキキキ!!!!!!!!!!!!!!
ただの一振りが一撃とは限らず。
「ちィ――」
左右にも青の剣を振り、あらゆる角度からの攻撃をいなす。
横一閃が正面から来るとも限らない。
それでも――!!
「一閃!!
天の雷!!!」
決めの一撃は紛れもなく居合いのそれ!
ならば迎え撃つは――
「
天剣!!!」
振り下ろしの一撃!!!
黄金に輝く一撃が交錯する――――!!!!
網膜を焼く光が鎮まったとき、剣を交わす二人はともに無事だった。
当然だ。
維遠では楽に勝てない。
そして。
何事にも本気になれない楽に、本気になった維遠が負ける道理もない。
ゆえに。
「――チ。本狙いか。やらしいヤツ」
「面倒や、言うたやろ」
ここにはいない、ヴィジシルの本を切り裂いた。
「まぁ……わかってんか? このあと」
「ん?」
「いや、ええわ」
剣を消す。そこにはもう、いつもの楽がいるだけだった。
決着はここに付いた。優勝は維遠。
すなわち――
その剣は背中から心臓を貫こうと殺到した。
それを振り向くことなく、腕の動きだけで防ぐ。
攻撃の主はみかん。
防ぐは維遠。
互いに無言のまま。
――最終戦が、始まった。