ラクエンハトオク

 二日後の月曜日。
 晴天の下の花の下。
 維遠たちは花見に来ていた。
 一色の家からほどなく近い公園の一角である。
 午前中は入学式だった。つつがなく終わったと言えば終わったし、一波乱あったと言えばあった。
 誰だってあれだけの戦いを繰り広げたあとなら大抵のことは些事になる。たとえばオカマの同級生が別のノーマルな同級生に迫っているような事態とか。
「予想通りと言えば予想通りやけど」
「なにが?」
 維遠の呟きに一色が反応する。
「N堂」
「ああ。二階堂と中堂か。たしかに二人ともN堂やな」
「そこ反応するとこチガウ」
「いやいや、公衆の面前での♂同士のチュウほど吐き気催すモンもないで?」
「見た目はカップルですよ?」
 それに陸が反応した。
 胡坐をかいて、そこに妹を座らせている。八歳年下の小学二年生。ツーテール。
「ん?」
 かわいらしく小首を傾げている。
「姫凛ちゃんにはちょっと早い話やなァ」
 維遠は苦笑を浮かべつつ。
「来年には教えたいところですが」
 陸は少々時期尚早なことを言い。
「じゃあ俺が教えるー!」
 一色が挙手。
「「却下で」」
「なんで!?」
 維遠と陸とでハモって即答した。
「「なんかエロいっていうかヤバい」」
「?」
 姫凛は、よくわからない、という具合に首を傾げたままだ。
「姫凛ちゃんはお兄ちゃん、好き?」
 上から陸が聞く。
「うん、好き!!」
「じゃあお兄ちゃんが教えてあげましょう」
「「――――――」」
 維遠と一色が微妙な表情をした。
 思いは一つ。
 ――お前が一番やらしい!
 何ゆえ春の陽気の中で猥談などを繰り広げているのだろうか。
 もっとふさわしい話題は腐るほどあるというのに。
「って俺のせいか」
 自問自答して自己嫌悪。
「案の定、ラクくんは遅刻ですか」
 思い出したように陸が言った。もっとも、確たる時刻を指定したわけではないが。
 大雑把に今日の午後にいつものところで花見をするから、と伝えただけだ。ひょっとしたら『いつものところ』という場所指定に齟齬があるのかもしれない。
 よく考えなくても維遠は楽と花見をしたことがほとんどないのだから。
「やな」
 しかし楽はそもそもが遅刻の常習犯なのでそのせいにした。
「んまにアイツだけは……」
「「お前が言うな」」
 陸と二人で突っ込む。一色も劣らぬ遅刻魔である。
「らくくんも来るの?」
 陸の足に収まった姫凛が尋ねる。
「来ますよ。たぶん」
 来ない可能性も当然ある。むしろやや高い。返事は聞いていないし。
「連れてきましたわよ」
 維遠にとって、ここ数日で聞き慣れてしまった声が響いた。
 当然、残る三人は初めての声音。
「………………。……ふむ」
 一色の何か考えるような間。
「……さすがにちょっと難しいですね」
 陸の呟き。
「きれー」
 姫凛の無邪気な称賛。
「……ご無沙汰です……」
 予想外の登場に戸惑う維遠。
「――――――」
 なぜか無言の楽。
「………………」
 同じく無言のシィカ。
 二人は侍従のようにレヴェッカの後ろに控えている。
「まあ、とりあえずイトは死んだらエエんちゃうかな」
「そうですね」
 小学生がいる場でそういう罵倒はやめてほしい、彼女が真似するとは思えないけど。
「……え〜っと……ちょっとエエかな?」
 その罵倒をあっさり横に流し、維遠は軽く手を上げる。
「構いませんわ」
「楽と知り合い?」
「二日ほど前に」
 二日前。
「――――――。……見てた?」
「いいえ。結界の中でさらに別領域に行かれては」
 さらりと言った。何かの暗喩だと事情の知らない二人は思っただろう。姫凛はそもそも意味がわからないに違いない。
「ああ、アレやっぱイトらか」
 それを言ったのは一色だ。
「「「「は?」」」」
 四人の声がかぶる。
「さすがにアレだけ歪めばわかりますか」
 答えたのは陸。
「てことは前から?」
「三、四年前からですね。修行を終えてしばらくしたら早速って感じで。それもあって地龍を封印したんですけど」
「ふぅん。俺が気ぃ付いたんは一昨日だけやな」
「イトくんだと思ったのは?」
「あれ、いつや? 週末になんか弾かれたやろ? あんとき、おらんかったやん」
「なるほど」
 勝手に話が進んでいく。
 わかるのは維遠たちとは別件で陸も一色も結界を感知できるらしいということ。
「……なんで?」
「話すと長くなります。そうですね、小説一つ分くらいには」
「オーケー。じゃあ少なくともベッキーとの関係は言わんでええな?」
「「愛人やろ?」」
「「死ね」」
 陸と一色のハモリにレヴェッカと維遠がハモって答えた。レヴェッカがそんな罵倒を口にするのは意外な気がしたが。
「で? どないしはったんです?」
「こちらも今日は始業式で暇でしたから。そうしましたら偶然彼に会いまして」
「野郎ばっかやし誘った」
「誘われたのは花見ではありませんでしたが」
「をい。布引はどうした?」
「寝てるって」
「………………」
 微妙なところである。後遺症はほとんど残っていないはずだが。
「彼女は……来ていませんの?」
「ん……あぁ」
 口ごもる。濁したと言うほうが正確か。
 ちらりとシィカに目をやると彼女のほうはわかっているようだった。ほんの少しうなずかれる。
「とりあえずご飯にしましょう。せっかくたくさん作ってきましたし」
 言って陸は大きな重箱を取り出した。
 四段重ねが二つ。成長期の男ばかりが四人いるとはいえ少々多い量だが、陸が文字通りの底無しなので問題ない。そも、それを見越して彼は作っている。
「相変わらずまめやな」
 一色に配られたウェットティッシュで手を拭きながら維遠が言う。後ろのほうでレヴェッカたちが挨拶を交わしていた。
「花より団子でしょう」
「花もエエと思うけど」
 見上げ、春の花をつぶさに観察する。
 一般的なソメイヨシノ。なんの変哲もない、決して自らは増えることのない、人の手によって生まれた桜。ただただ見られるためだけの存在。
 つまり、見る者がいなくては何の意味もない生物。
 感傷だと理解している。維遠は年のわりにどこか達観しているというか老成しているところがある。それが幼い誤解だと彼自身理解している。
 だからそのままでいいのだと思い、思考を続ける。
 みかんは何を思い、これまでの《戦い》を見てきていたのだろうか。
 彼女に見せるためだけに存在した《戦い》と、こうして彼らに見られるだけに存在する桜は、どこか似ている。
 感傷的な思考だと思う。似ているはずもない。
 あの《戦い》は徹底的に人を殺し、桜はときになにかを生かす。
 生命に対する在り方の違いは、決定的だ。
 ちょうど、みかんとゲフィユルの在り方が決定的に違ったように。
 みかんはずっと、ずっと消えることだけを願っていた。死ぬことで栄誉を受けるでもなく、それによって罪を贖えるとも思わず。
 ただの消滅。人々の記憶から消え、事物の記録から消え。それでも過去が変わることなどない。いかに存在が消滅しようとも、それが与えた影響まで同時に消えることはない。
 時の流れはいつでも一方通行なのだから。
「情けない顔をしていますわよ」
 隣にすわったレヴェッカが言った。
「あなたはあなたの決断をきちんと下した。それで良し、とはできませんの?」
「ヘタレた決断下してもねぇ……」
 結局のところ、維遠ができたことは、それぞれが背負うものをそれぞれの背中に乗せ直したということだけだ。
 少しくらいは彼女の分も背負えたのではないかと思う。せめて隣で押し潰されないように支えてやるくらいは。
 けれど。
「うりゃ」
「ほぎゃぁぁぁぁ!!!!」
 首筋になにか冷たいものが当たって、維遠は奇妙に叫んだ。多少暴れたが、周囲の連中は驚異的な連携で退避し、弁当その他を退避させた。
「なーんでわたしをおいて行くかなァ、維遠は」
 背中に柔らかい感触。首には温かな感触。
 視界の端に春の陽射しを返す金色が見える。
「寝てたから。書き置きしてたし親父もまだおったやろ?」
「だから差し入れがあるんでしょ。ていうかこういうことは起こしなさい」
「うぃ」
「それから周りに目があるときにたそがれるのはやめなさい」
「うぃ」
「できればバカップルるのもやめてほしいんですけど」
「それは無理やろ」
「ですわね」
「無理ですね」
「俺もバ彼女ほしー!」
 陸の言葉に楽とレヴェッカとシィカが答えて、一色が吼えた。
「???」
 唯一、姫凛だけはよくわからないという顔をしている。
「俺の味方は姫凛ちゃんだけやなァ……」
 きゅ、と首の絞まる音を聞いた気がした。
「…………とまる。いきとまるよみかんちゃん」
 細い声で苦しいことを訴え、右手は激しくタップ。
「わけのわからないことを言うからよ」
「小学生に妬くのはどうでしょうね」
「無意識やろ」
「なおのことどうなのでしょう?」
「初々しくて良いのではないでしょうか」
「姫凛は俺の嫁!」
「お前には絶対やらん」
 珍しく陸が丁寧語を使わなかった。むしろ彼が丁寧語を崩すのはこのときくらいだが。例外的にハモるときは相手に合わせて崩すことがあるが。
 ――当然だがみかんは生きている。
 彼女を縛っていたシステム――《戦い》を維遠は斬り、代わりに自身を括りつけた。
 変質してしまったゲフィユル――《ブレイド》に宿っていた人格を紐にして。
 本質的にはなにも変わっていない。
 強制的に《戦い》を見せられることはなくなったが、代わりに維遠が苦しみながら生きる様を見なくてはいけなくなったのだから。
 どちらがいいのか、維遠には判断が付かない。
 ただ、死ぬ様を見たくなくて禁忌を犯した彼女にはマシだろうと思うだけだ。
「――ちょっとトイレ」
 みかんを背負ったまま立ち上がる。
「ゆっくりでいいですよ」
 いつもと変わらない微笑で陸が言う。嫌味かどうかは微妙なところだ。
 広い公園をゆるりと歩く。
 あちこちで春色が溢れ、生命が輝いている。
 パステル調の、それでいてヴィヴィッドな、この国独特の色合い。
 その中を歩く。みかんはすでに降りて隣を歩いている。
 人はまばら。平日の昼間に酒盛りをするような連中はまれなのだ。
「――説明してもらえるのかしら?」
 前を見たままみかんは口を開く。
 そう、彼女は言うが、しかし、説明するようなことはほとんどない。
 最後の戦いのあと、みかんは死んだように眠りについた。否、間違いなく仮死状態ではあった。これほど早く起きるとは維遠も思っていなかったのだが。
「……どんな感じ? 体は」
 維遠も前を向いたまま問い返す。
「問題ないわ。軽いくらい」
「そら良かった」
「――本当に、天使になってしまったの?」
 その声は本当に悲しげで。
「紛いモンやけど。人間やないやろうな」
 むろん、傷は付くし、病にもかかる。それでもそんなことで死ぬことはないし、いずれそれらも本当にまれなこととなるだろう。
 天使の創ったシステムに人間如きが干渉するには力の前借でもしなくては無理だ。
 そのために天使となった。力を借りるためではない。借りたものを返すために。
 維遠はこれから永遠の時間を使って借りた力を返さなくてはいけない。
 みかんが永遠の時間を贖罪に充てるのと同じように。
「本来やったらとうに許されてるんやろうけどな。忘れられたら許されようもないやろ」
「………………」
「せやからそれはお前が背負っていけ。ええやんけ、自分の願いを叶えた代償が自分で払えてるんやから。由姫はそれすら許されんかった」
「でも。維遠は? 維遠には本当に無関係なことなのに」
「別に? 惚れた男にわがまま言うんは女の特権やろ。それに俺、あんま甲斐性ないし。社会性がないって言うか、なんていうか、食わんで生きていけるって素晴らしいヨ?」
「そうじゃなくて!!」
 立ち止まり、叫ぶ。
「わたしは! 許されるつもりなんかないの!」
「俺も許すつもりはない」
「――――――」
「俺が人間でなくなったんは間違いなくお前のせいや。たまたま俺がそれを前向きに受け止めれただけで、この先たぶん後悔することがあるやろうし、お前を詰ることもあるやろう。それも全部含めてそれがお前の罰で、贖罪やろ」
「………………」
「それが耐えられんのやったら殺したらええし、死んだらええ。方法はあるやろ」
 止まった足を動かす。池のほとりに出る。
 みかんも並ぶ。金色の髪が風に流れるのが見えた。
「維遠。一つだけ聞かせて」
「なんや?」
「好きって言って」
「――は?」
 隣に振り向く。
「なんかわたしばっかり言ってる気がする。維遠は『俺も』とかだけで」
「えぇー……」
「それでいいわ。わたしは別に何も変わらない。永遠の伴侶ができただけよ」
「うんじゃそれでいいやん」
「わたしは維遠に対するわたしの愛が永遠であることを誓うわ。維遠のその剣に」
 青い目がとても、とても真剣だった。一週間前、夢で出会った、あのときの目。
「………………」
 ゲフィユルではなく、もう人格を宿さない、ただの刀に誓うあたり、彼女は根っからの戦士なのだろうと思った。
 現実逃避だ。
 覚悟を決めろ――いや、決意しろということか。
「……わかった。俺も誓う。みかんに対する俺の思いが愛であることを。永遠かどうかはわかりません!」
「……サイテー」
 ――サイテー
「由姫まで!?」
 ――当然だろう。浮気しますと宣言しているようなものだからな。
「全くね。これだから男は」
「やかましいわ! むしろ薄っぺらい真実の愛とか騙らんだけマシやろ!」
「目クソ鼻クソね」
「そこは五十歩百歩言おう。せめて。女の子なんやから」
「で?」
 言葉ともに維遠の首に手を回す。
「わたしはまだ維遠の言葉を聞いてないわ」
「………………」
「往生際が悪いわよ」
「…………………………………………………………………………………………好きデス」
「愛してるって言って」
「……………………………………………………………………………………愛してマス」
「まあ、今はそれでいいわ。少なくとも毎日十回は言うこと」
「えぇー…………」
「わたしは百回は言うわ」
「………………」
 色々と濃い一週間だったが、維遠はまだ高校一年生になったばかりである。
 愛だなんだと言うものの、そんなものに全く現実感などなく。
「そうね、まずはそういうところから始めましょう?」
 これから始まる生活に不安ばかりが募っていく。
 いつか憧れのあの人は言っていた。
 物語は描かれない舞台裏のほうが、なにより幕を引いたあとのほうが大変だ、と。
「――――――」
 嗚呼。
 早くも後悔で溢れている。
「あの」
「問答言い訳その他一切無用」
 この体勢ですることなどたったの一つ。
 それがなんだか無性に怖かった。《夢幻》でなら幾度となく交わしたはずなのに。
「愛しているわ、維遠。これから永遠に――よろしく」
 言って。

 柔らかな感触が唇に広がった。

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