Battle royal

 謝罪を口にしたものの、さゆりの心を占めるのは罪悪感ではなく、ゴシュジンサマに与えられるゴホウビのことだけだった。
 このニンゲンを倒した後にもらえるゴホウビこそ今のさゆりの行動原理だった。
 そのためには見知らぬオヤジに犯されることだってためらわないし、見知ったニンゲンを刺すことにだって迷わない。
 どれもこれも些細なことだ。ゴホウビに比べれば塵ほどの価値もない。
 あの、頭の先から足先まで貫き通すようなゴシュジンサマの快感に比べれば。
 背骨を走る、体の芯を痺れさせる、狂おしいほどの快感。
 卑しい、倒錯した悦び。
 こんな快感があるのなら、あの下らないオトコに純潔を捧げるのではなかったと後悔してさえいる。
 だがそれはもう過ぎたことだ。
 ゴシュジンサマだって許してくれた。ならば何を気に病む必要があろう。
 とにかくゴホウビだ。
 このニンゲンを打倒し、ゴシュジンサマにゴホウビを頂くのだ。
 体中が期待に疼いている。キモチのイイところがじくじくとむず痒い。
 躰が早く早くと急かしている。
 ハヤク、ハヤク、ゴシュジンサマにゴホウビをイタダキタイのに。
 ――アア、ソレナノニ。

 体が動かせないと判明した瞬間に維遠が取った行動は《オーラ》の展開だった。
 それでも完全に油断した状態からさゆりの攻撃を防ぐことは難しく、数ミリから下手をすれば一センチほど刃を突き立てられた。
 だが腹を――比喩的に言うならば胸を――貫いたのはむしろ維遠の知らないさゆりの艶美な微笑と、攻撃行為そのものだ。
 あか抜けない、地味で、良く言えば純朴なさゆりが、恍惚の表情で、そして嬉々として誰かを傷つける様に、ただ驚いた。
 今回ばかりは素直に絶望だと認めてもいいかもしれない。
 そのくらいに衝撃だった。
 維遠の知るさゆりは――それがただの一面であることを差し引いても――ふしだらな女でもなければ、頭のゆるい女でもない。
 そんな彼女がへらへら笑いながら維遠を刺している。――明らかに殺そうという意志を持って、だ。
 さゆりがこの戦いに巻き込まれているという予測はしていた。だからこそ片手半剣の男から逃げている彼女を冷静に観察できた面もある。
 しかし、さすがにこの状況は予見できなかった。
 意外な事実は決定的に思考を凍らせ、致命的に行動を遅らせる。
「あは。止められちゃった」
 虚ろな、しかし女の悦びを浮かべた表情のまま彼女は告げる。
「じゃあ、吹っ飛ばさなきゃ――《カテリーナ》」
 おそらくは彼女の扱う《ブレイド》の名前を呼ぶ。呼応するようにジグザグに折れ曲がった剣身が輝きを発する。
「ヤ――」
 バイ、と言う前に光弾が爆ぜる!
 轟音、そして物理的な衝撃で後ろへ吹き飛ばされる。
「ガッ!!」
 背中から壁に突っ込んだ。
 それだけの威力を持った攻撃だ。さゆりも無事であるはずが――
「さゆり! 彼よりも本を狙ったほうが早いわ!」
 聞いたことのある声がする。どこで聞いたのか思い出せない。
 ズキズキと腹が痛み、ジクジクと背が痛み、ガンガンと頭が痛い。
 そしてどろどろと蕩けるように精神が、心がイタイ。
 不完全な《オーラ》は不完全なままに消え去り、しかし不穏な敵方の声に消えたままで身を起こす。
 果たしてさゆりは無事だった。薄い、水の膜が彼女を守っていた。
 それを見た瞬間、去来したものは。
 一縷の希望。
 そして。
 現実という絶望。
 維遠を拘束したものはあのとき夢で見た青年を拘束した魔術で、さゆりを守ったものはあのときの青年の電撃を防いだ魔術。
 呆然としたまま声のほうを見る。
 人家の屋根に、想像どおり、快活そうな黒髪のボブカットが見える。
 ――いや。快活なはずの表情はさゆり同様、熱っぽく、力強い言葉とは裏腹に、ふわふわとして頼りない。
 なにかに浮かされているようで。
 急速に力が抜けていくのを感じる。抜けているのは力ではなく戦意かもしれない。ともかくその場に立っていることさえ――
「維遠!」
 みかんの一喝で身に力が入る。
 視界の端、さゆりがゆらゆらとみかんに迫っている。
 そうだ。
 今は彼女らは敵だ。
 なにより――
「――加速」
 一昨日の戦いで見せた瞬間移動でみかんに接近、一昨日と同じくそのまま抱えてその場を離脱。
 ――みかんの危機を見過ごすわけにはいかない!
「ワリ」
「気にしないで」
 抱えられたままでじっと目を見つめながら答える。こちらの内心を量り、そしてそれ以上におもんぱかるように。
「どうするの?」
 それはさっき横にさゆりがいるときに聞かれたような、戦術を問うものではない。
 そもそも戦うのかどうか――戦えるのかどうかを質す問い。
「何度でも言うわ、維遠。命を懸ける必要はないの」
 遠回しに棄権を、降伏を勧めてくる。
 今の攻撃でわかったことは三つ。
 さゆりもあの女の子も片手半剣の男と同程度かそれ以上に強いこと。
 二人はどういう理由でかグルらしいこと。
 そしてこれは確定ではないが――
「あの二人、妙やなかった?」
「ええ。完全でなくとも少し正気を失っている気がするわ。理由はわからないけど」
「やっぱりか」
 ――半ば正気を失っていること。
 いや、さゆりに限れば完全に失っている可能性もある。先の男のせいかその前からそうなのかは判断が付かない――ことはない。
「仮にあのおっさんのせいやとしたら?」
「敗北しているわけではないから効果が消えるということはないわ。可能性は残る。それでも限りなくゼロでしょうね」
「あの火球はカモフラージュされてへんねやったら魔術やったしな」
「ならもう、あのオヤジは無関係と考えて間違いないと思うわ」
 ということはその前から。五指短剣チンクエディアの子が?
 その可能性も低い。彼女の特性は《静止と流動》だ。精神系に作用するには相当な練度が必要で、今の拘束魔術の印象から言えば、そこまで成っているとは思えない。
 ならば、この戦いが起こる前、前回の戦闘の後遺症としてあの状態を引きずっている?
「戦闘ダメージがそのまま残るんてアリ?」
「それが普通。天使が癒せるにも限度があるしね」
「ふむ……?」
 後遺症という解は正しいように思える。しかしなにか変だ。矛盾が残る。
「えぇと……?」
 うまく頭が働かない。腹が痛い。背中が痛い。頭も痛い。
「……せっかく距離取ったんやし、アイツらの天使探せへんかな?」
 思考がまとまらない。彼女らと直接の戦闘を回避するならそれが手っ取り早い。
「待って。――さっきのオヤジの天使は降伏したわ。この戦いの勝者の裁量に任せるって言ってる」
 本を読みながら答える。
「つうことは実質あの二人が当面の敵か……」
 正面切って戦えないことはないだろう。片方にいたっては戦術まで把握しているのだ。
 それでも。
「――――――」
 この、頭の裏でちらつく違和感をどうにかしないと、勝てそうにない。
「天使を探すのはこの際、構わないけれど。アテはあるの?」
「――ない……ことはない」
 というか今、全力で探しているのだ。
 撤退してきたほうから近づく二つの気配。これはさゆりと黒髪の少女のものだろう。
 その向こうで止まっている二つの気配。これはオヤジとその天使。
 そして維遠とみかん。都合六つで、残りは二つのはず。
 だが感じる気配はさらに多い。――六つ。いや、八つ。
 不可解すぎる。
「くそ……」
 息が上がる。出血はすでに止めている。血が足りていないわけでもない。単純にあの二人を同時に敵に回しているショックが抜け切っていないだけ。
「落ち着いて、維遠」
 維遠の腕から下り、その柔らかな手で維遠の顔に触れる。額と頬。熱を持った体にみかんの冷たい手が気持ちいい。
「状況は?」
「気配が全部で……十四もある」
「六つ多い……フェイクの可能性は?」
「わからん。魔力感知してるだけやから、人間並みの魔力保有の魔術が各所で起動してるんやったら、目で見んことには」
「区別は付かない、と……」
「なんか引っかかってんねん。アイツらの状況とこの気配の数」
 無関係なわけがない。なにか関連が――
 みかんを抱いて、横っ飛びで攻撃を躱す!
 さゆりの光弾と少女の水弾が同時に炸裂した。
「も〜、神園くん、はーやーい〜」
「さゆり、わたしが彼を押さえるからとどめお願い」
「うん、わかった、がんばってね、カナカちゃん」
 答えると、さっきと同じく、手にした《ブレイド》に光を集め始める。
 三度、鋭角に折れ曲がった剣身を持つあの短刀は神秘短剣クリスと呼ばれる、マレーシアに伝わる民族武器の亜種だろう。普通はカナカの持つ五指短剣チンクエディアと同じく真っ直ぐか波状の刃を持つのだが、さゆりの持つ短剣は刀身自体が鋭角の波状になっている。
 おそらく、神秘短剣のもう一つの側面――タリスマンとしての効果を強化するためだろう。推定でしかないが、あの《ブレイド》は魔術媒介として優秀なはずだ。特性もそれに類するものだろう。
 にもかかわらず、彼女は直接それで刺すことを選んだのだ。正気はともかく判断力は失われていると考えて間違いない。
 その気になれば維遠でも破壊できるだろう――が。
「よそ見してていいの!?」
 黒髪ボブカットの少女――カナカが迫る!
 扇形のような剣身をした短剣を振るい、それと連携するように水の鞭が維遠を――そしてみかんの持つ本を狙う。
「――――――」
 バックステップで躱しつつ距離を取る。だが短剣の間合いは外せても、水鞭の間合いは長すぎる。
 結果として、
「つ……!」
 背を向け、みかんを庇うかたちになる。
 そのまま、《オーラ》を展開したままで、逃げる。
 魔力消費がバカにならないがこの際仕方がない。下手にみかんと遠ざかろうものならみかんが――正確には彼女の持つ本が――狙い撃ちにされる。バトルロイヤルは、そういう防御の面でも厄介だった。
 自身を守る光を編むことはできても、肝心のみかんを守る術がない。
 己を盾にすることでしか彼女を守れないのだから。
「クソ……」
 水鞭はすでに水弾へと変わり、辺りを構わず撃ちぬいている。
「……っ!」
 みかんが顔をしかめた。
 何事かと思って足元を見やると撃たれていた。幸い貫通していない。だがくっきりと血がにじんでいて――
「ごめん」
 思わず謝っていた。横抱きにして、頭は抱え込んでいたが、どうしても足のほうは維遠の体からはみ出してしまう。そこを水の弾丸が掠めたのだ。
 走る速度を上げる。みかんを抱えているせいか、《エンハンス》の調子がいい。
「大丈夫。でも気を付けて、そろそろデカいのが来るはずよ」
「ああ」
 答えると同時、進行方向に影が伸びる。
 さゆりの光弾が輝きを増したのだ。しかもまんまと追い込まれた。
 周囲には背の高いマンションがそびえ、後ろからはカナカの追撃。
「いっけぇ! 《カテリーナ》!」
 巨大な、一メートルはありそうな大きな光の玉が維遠たちに迫る。
「ちっきっしょ!」
 渾身の力と魔力を込め跳躍! マンションの途中階まで一気に上がる。
 が。
「うそやろ……」
 砲弾が着弾と同時に爆ぜる。その爆発は維遠たちを丸ごと飲み込んだ――

「あーあ。あの天使の女の子は好みだったのになァ」
 黒髪に黒尽くめの恰好をした維遠と変わらないくらいの歳の少年は、言葉とは裏腹に特に未練もなさそうにつぶやいた。
 維遠が吹き飛ばされた地点から百メートルほど離れたところの空き地。そこに二人の青年と一人の少年――小学生くらいの維遠や彼よりもさらに幼い少年を傍に控えさせて、ぼんやりとことの成り行きを見守っていた。
「諦めてください。どちらにせよ天使ウォッチャーを支配するのは骨です」
 そう、大人びた調子で答えたのはしかし、その小学生のような少年だった。黒尽くめの少年の天使らしい。
「わかってるよ。神園が最後の相手だった時点で僕の勝ちは決まってるしね。余興だよ余興」
「ですが油断はできません。あの攻撃を喰らってなお敗北していない」
「そう。まあ直撃してないし、ここまで残ってるなら当然って感じもするなァ」
「だとすれば駒として申し分ないのですが」
「ま、余裕があれば使ってやるさ」
 気だるげに隣に控える二人の青年を見回す。
「飛車角は手に入れた。金銀もあるし――歩はいらないと思うんだよね」
 自らを王に譬えるように言った。それ以外のものは全て自分を守るための駒にすぎないと言うような、傲慢な返答。
 しかし実際、彼はそのようにしてこの戦いを勝ち抜いてきた。
「アンタもそう思うだろ?」
 水を向けた相手は彼の隣にいる《ブレイド》の天使の青年――このバトルロイヤルの正規の参加者の一人である。
 四人から離れ、腕を組んで、目をつむり、不機嫌そうに立っている。
 彼のパートナーたる青年はこの戦いが始まると早々に敗れ、黒い少年の配下となってしまった。
 ――このバトルロイヤルはなにも今日、維遠が車椅子の青年を倒してから始まったものではない。
 先に参加した者から順に戦いを始めてよいのがこのトーナメントのルールである。
 トーナメントの一対一という制限がある以上、それほど問題にならないこのルールはしかし、バトルロイヤルという複数を相手にする戦いになると俄然、先に勝ったものが有利になる。
 次に勝った者を待ち伏せし、バトルロイヤルにもかかわらず、残りの参加者が揃うのを待つことなく戦いを始められるのだから。
 ゆえに、黒の少年は一番にこのバトルロイヤルに参加し、順次参加する《ブレイド》を一対一の状況で打破していったのだ。
 敗れたはずの天使が未だ現界しているのは偏に、彼がみかんやシィカ同様にコマンドをパスポートとしない、数少ない天使だからだ。
「………………」
 黒い少年の問いかけに無言を返し、青年はじっとたたずむ。
「……ま、いいけどね」
 大仰に肩をすくめて見せて、少年は自分のパートナーへ呼びかけた。
「お前は神園を拾ったほうがいいと思うか?」
「可能ならば。あなたならば造作もないでしょう」
「ふぅ〜ん……」
「それに歩には歩の使い方があります。先の男のように使い捨てにするのも一興かと」
「ま、さゆりとカナカを躱してここまで来たら考えておくよ」
 爆発のあったマンションを見やる。
「さすがにアレを直撃でないとはいえ喰らって無事なわけないけど」
 あの辺り一体の建物は全て倒壊してしまっていた。

 おそらく死んだだろうと思っていた。
 本を持たない彼女らには相対する敵の生存を知るには己の五感に頼るしかない。
 そしてその五感は自分たちで――主にさゆりが――引き起こした破壊の余波で、視覚聴覚嗅覚までがおかしくなっていた。直接戦闘に関係しないことを考えないのなら味覚も狂っているだろう。
 それだけ甚大な土煙が上がっていた。
 カナカの水の障壁で三百六十度覆っているので直接的なダメージはないとはいえ、マンションの崩れる轟音と衝撃は凄まじかった。
「……ばか、やりすぎ」
「えへへ……ごめんね……」
 さゆりは全力を込めたせいか、肩で息をしている。
 カナカも少しばかり息が上がっている。このあと、ゴシュンジンサマに頂けるゴホウビを想像して軽く興奮しているのだ。
 このあとのことが待ち遠しくて仕方がない。
 死んだと思ったというよりも死んでいてほしかった。もう一秒だってお預けをくらってはいたくないのだ。
 早くゴシュジンサマの元へ帰りたい。
 この煙が晴れたらすぐにゴシュジンサマのところへ帰ろう。
 そう思って今か今かと水のドームの中で二人はそのときを待つ。
「あぁ〜もう! カナカちゃん! 雨! 雨降らせようよ!」
「あ、そか」
 むろん、そんな大掛かりな魔術は使えない。しかし、この土埃を落ち着かせるだけの水量を辺りに撒き散らすことくらいは問題ない。
 かくしてドームの頂上から水が撒かれた。
 ある程度の視界が開けるとそこは一面の瓦礫の荒野だった。このまま破壊を現実に持ち込めば、四桁近い人間が死ぬだろう。
「あは」
「ま、これで生きていたら化け物ね」
 二人はそろってうなずくと、一目散にゴシュジンサマの元へ駆けだした。場所は指定されている。
 いや、ゴシュジンサマである以上彼女らにはゴシュジンサマがどこにいるのかすぐにわかる。たとえ指定された場所でなくとも、彼女らがゴシュジンサマを見つけることは容易いことなのだ。
「「ゴシュジンサマ!!」」
 ハモった二人の声。ゴシュジンサマを見つけた二人には法悦の表情が浮かぶ。
 そしてその表情は一瞬にして能面のような無表情に変わった。
 それだけでなく、そろって足元から崩れ落ちた。
 気絶した――気絶させられたからだ。

 二人が手にしていたそれぞれの短剣を拾い、パートナーへと投げる。
「『勝者は敗者に勝利する』か」
 パキン、と甲高い音が二つ響いた。
 みかんが剣を折った音だろう。しかし視界の一点を見つめる維遠にはその様子は見えなかった。
「ふうん。やるじゃないか。あの攻撃でそれだけの手傷で済んでるなんてさ」
 建物の倒壊に巻き込まれた経験はこれで二度目だが、正直、もう経験はしたくない。
 一昨日と違って今回はみかんと一緒に巻き込まれたことが大きかった。
 お陰で《オーラ》をみかんを包むほどに大きくしなければいけなかったのだ。みかんは必要ないと言ったが、維遠にとってみかんを守ることは何よりも優先される。
 あの程度の攻撃で死ぬわけがないと知っていても、水弾を受けて傷ができることを知ってしまった維遠には、もうそういう選択はできなかった。
 だからもうほとんど魔力は残っていない。ただでさえ魔力を食う《オーラ》を二人分、それもあれだけのエネルギーを無効化するだけの量で展開したのだ。空にならなかっただけ御の字だろう。
 《オーラ》はもう使えず、《エンハンス》でさえ数分分。
 みかんを守るときに使った瞬間移動――《エクスプロウスィヴ》もおそらく使えない。
 加えてそれだけの魔力を消費しながら衝撃は完全には殺せず、ダメージを負った。
 主に左半身。特に左腕は上げることすら億劫だ。
 魔術のみで戦う維遠にとって残り三人と戦うには絶望的な戦力差だった。
「それで? 降伏するなら受け付けてやるけど?」
「断る。お前みたいなヤツに負けてやる気はない」
「いいねぇ、その負けん気。神園はもっとクールなやつだと思ってたよ」
「俺はお前はもっとダークなヤツやと思ってた。ダークやなくてダーティーやったんは予想外や――飯田」
 なにを勘違いしたのか、ヴィジュアル系バンドのヴォーカルが着そうな黒いレザーの服に身を包み、普段は目を隠している前髪をオールバックにしたその少年は、いつもと雰囲気が違うが、間違いようもなく中学の同窓にして、現クラスメイトの飯田――飯田春俊である。
「そうかな? 僕としてはダーク路線を突き詰めた結果なんだけど」
「あー、それ勘違い。もしくは気のせい」
「そうかい。ま、感性の違いというのはどんな場合でも致命的だからね、そのあたりは諦めるよ。元々理解してもらう気もないしさ」
「そら良かった。興味ない話延々聞かせられることほど苦痛なこともないからな」
「そこは同感だね。――もっとも、聞かせるとなると少々話は違うんだけど」
 飯田は一歩下がり、代わって隣の二名が前に出た。
「気が付いてると思うけど、こいつらは僕の駒だ。さゆりとカナカ――それにさゆりを襲わせていたオヤジもね」
「――テメ」
「ああ、勘違いするなよ、さゆりはなんの恐怖も嫌悪も抱いちゃいないさ。彼女は僕の忠実な奴隷だからね。ちょっとセックスしてやっただけで喜んで自分から腰を振るような尻の軽い女だよ。ま、僕がそういう風に躾けてやったんだけどね、カナカともども」
 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてとても愉しそうに告げた。
 蛞蝓なめくじ以上に粘着質で、ひるのように纏わり付く声音。
 気持ちが悪くて――それ以上にイラつく。
 自分でも何ゆえそこまで怒っているのかわからない。さゆりとてこの戦いに参加することを選んだのだ。全く覚悟がなかったわけでもないだろう。もちろん、その覚悟が決まっていたとも思えないが。
 それでも、それだから、この状態に怒りを覚えることはないはずなのだ。
 それなのに――
「ま、その程度の女で満足できてしまうところは同情するけど」
 横からみかんが割り込んだ。
「は?」
 振り向く。
「戦闘中に余所見しないの。維遠の悪い癖よ」
「はぁ……」
 向き直る。飯田もやはり呆けた顔をしていた。
 それから思い出したようにまたニヤリと笑った。好色に瞳を淀ませて。
「それは、天使のお嬢さん、つまり神園が負けたら僕を愉しませてくれるということなのかな?」
「別に維遠を負かす必要はないわよ? 維遠が負けたところで愉しませる気はないし、そもそも維遠は負けないし」
「くはは! これはすごい! いや、さすがと言うべきなのかな? この状況でよく自分の《ブレイド》を信じられるな!」
「だって西からお日様が昇るとは思わないでしょう? それくらいありえなくて、それくらい現象として引き起こすのは大変なことなの。不可能だとは言わないけど、この星の人類程度に天体に干渉する手段があるかどうかは疑問ね」
 それは暗にそれくらい――人と星ほどの隔たりが飯田と維遠の間にはあるのだと。
 誇るでもなく、驕るでもなく、ただの事実としてみかんは考えているようだった。
 それこそ、太陽が東から昇るという事実に誇りも驕りもないように。
「――言うね。けど神園だってそろそろ限界なんじゃないのかい? さゆりの攻撃はかなり大雑把だからね、大変だったろう?」
「そうね、いらないって言うのにわざわざわたしを庇って怪我するし、そんな状態でも《ブレイド》を使おうとはしないし」
 これ見よがしに肩をすくめて、ため息までついて見せた。
「あまつさえ残り魔力はほとんど空。《ブレイド》なし、魔術なしでどうやって戦うつもりなんだか」
「ハハハ! それは大変だ!」
「まあ、自分じゃ戦えないチキン相手ならこれくらいで丁度いいでしょうけど」
「安い挑発だね。本命は最後に出てくるものだろう? ただの演出さ。必要なら戦ってあげてもいいけど――僕の出番はやっぱり必要なさそうだ」
 維遠に一瞥をくれると嘲笑で返した。
「頂点に立つ者にはそれなりの戦いがあるんだよ。そうじゃない戦いに出向く必要なんてない。さゆりとカナカを相手にしてほぼ無事だったことは評価するけど――」
 指を鳴らす。
 拘束された。それはカナカの魔術ではなくもっと単純な、物理的な拘束。
「――布引!?」
 後ろから羽交い絞めにされている。
 隣を見るとみかんはカナカに捕まっていた。
「気絶させたくらいでどうにかなると思うのは油断だよ、神園」
「お前……こいつらに何してん」
「何って」
 ハハ、と軽く笑うと。
「この世の快楽を全て教えてやっただけさ」
 ドロドロに腐った瞳で答えた。
 みかんが会話を引き継いでくれたお陰で鎮まっていたはずの怒りがまた湧き上がる。
「ま、今、その子たちを動かしているのは僕だけどね。問題ないだろ? 人形は人間の思うとおりに動かすものさ」
 それがどれだけ高等なことか。たしかに不敵に構えるだけのことはある。
 だが関係ない。飯田がどれだけの使い手だろうが、どれだけ堕落した人間だろうが。
 他の誰かを慰み者にしていい理由なんか――ない。
「……一つ聞かせろ」
「ああ、構わないよ。きっと今生の別れになるだろうからね、大抵のことには答えるさ」
「布引と戦ったんはいつや?」
「それは時期のこと? 何戦目でってこと? どっちでもいいけど一戦目で、一年以上前だよ」
「お前、じゃあ、それから――!!!」
 ずっと。
「当然だろ。敵戦力の獲得、それに勝利報酬は戦争の定石なんだから。もっとも、僕も嫌がられるのはイヤだからさ、苦労したんだぜ?」
 三つ目の原則――『勝者は敗者に勝利する』
 維遠は意識的に不可侵を貫いたが、この男は従属することを強要したようだ。
 それこそが維遠の感じた矛盾。二人が同じ症状の後遺症を抱えているのなら、戦った対戦相手もまた同じ。それはすなわち、二人が――少なくとも一方は敗者ということ。
 それゆえに――彼女らがグルなら第三者の存在の可能性は半々以上だったのだ。
 複数の魔力気配という最大のヒントがあったというのに、気付けなかった。気付いていたならもっと対策が取れていたのに、それに思い至ったのはマンション倒壊に巻き込まれた直後だった。
 だから彼女らを泳がしてここを、飯田を見つけた。だがそれだけ。なんの対策も取れなかったせいで、こうして捕まっている。
 今から思えば最初の夢の青年もカナカを捕まえるつもりだったのだろう。その油断が敗北を招いたのだが――
「維遠」
「あかん」
「まだなにも言ってないじゃない」
「たしかにこの子らはもう《ブレイド》やないから、みかんが介入してもルール違反やないやろうけど」
「はいはい、わかったわかった。で、どうするの? 腱でも切って動き止めないと厄介なのは間違いないわよ?」
 ――その彼女も、危うく殺されるところだった。
「そんな器用な真似、ようせんわ」
「ハハ、遠慮せずに殺してくれても構わないぞ? どうせこれからイヤになるくらい手に入るんだ、そいつらに固執する理由はない」
「よく言うわ……」
 ぽそりとみかんがつぶやいた。
「さて、それじゃ、もう話したいこともないし。神園――死ね」
 言葉と同時、さゆりの腕が強烈な強さで首を絞め始める。
 大したことはない。少し呼吸が止まる程度だ。大したことではない。
 ここで死ぬことも含め、それ自体は大したことではないのだ。
「維遠!?」
 だが、もしも。もしもこの先、自分以外の人間に飯田が負け、さゆりが正気を取り戻したら――?
 人を殺した、否、維遠を殺したことを背負えるのか?
 きっと無理だろう。正気の心はまた狂気に囚われる。
                   ・・・・・・・・・・・・
 それにみかんは? 彼女はどうなる? また独りの世界に戻るのか?
 だから。
 ――手ぇ借りるで
 自分の内なるものに助力を乞うた。

「ほう」
 飯田は維遠の魔力流を敏感に感じ取っていた。
 何が起きるのかまではわからないが、少なくとも自分に都合の悪いことであることくらいは予想がつく。
「斉藤」
「はい」
「念のためだ、殺してこい」
「はい」
 青年が自分の《ブレイド》を構える。
 自分の背丈と同じくらいの大きな西洋剣――巨大剣ツヴァイハンダー
 余人であれば両手でなくては扱えないそれを、軽々と片手で持ち上げ、水平に構える。
「彼女はどうされますか?」
「構わん。殺害を優先しろ」
「了解しました」
「維遠!!」
 慌てたみかんが声を上げる。だが維遠は身動ぎもせず、じっとさゆりが絞め殺すのを待っている。
「《ギガントダガー》!!」
 投剣ダガーの文字通りに飛ぶように、しかし持ち主ごと迫るそれは投擲ではなく突撃!
 後ろのさゆりの命を考えない、それごと貫くだろう突貫!
 迫る、迫る、迫る!
「維――」
 攻撃の決まる、そのわずか一歩手前。
                   ・・
 巨大な西洋剣は強引に軌道を変え、その攻撃から身を躱した。
 維遠の目の前に突き立つそれは曲刀――朱い舶刀カトラスの刀身。つまり。

「助っ人参上――というヤツですわ」

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